KREVA - よろしくお願いします
『新人クレバ』、『愛・自分博』ときて、『よろしくお願いします』と3作品揃って揺るがずに"レペゼン自分"の精神をタイトルに記すKrevaにとてつもない"自信の大きさ"を感じて、恐れおののいた。しかし、この尊大なる"レペゼン自分"の精神を持ちながらにしてなぜか全く嫌味がない、そしていまや20 代OLに絶大な支持を受けているKrevaほど"オトナのオトコ"という言葉が似つかわしいラッパーもいない。
本作でのKrevaは「他人は他人、オレはオレ」という当たり前だけど忘れがちな考えを軸として持ち、オレの考えを微塵も押し付けようとしない。代わりに、意気消沈している娘を見れば「嫌なものは全部吐き出してしまえばいい」と励まし、大切なパートナーには「You are my sunshine. 代わりはいない」とまで言ってのける。この作品全体を覆うムードは、他人の弱さを認めて自分が強くなってそれを包容しようとするようなもの。もう自己犠牲の精神にまで達している。
振り返ってみれば、『新人クレバ』の頃はピンでメジャーフィールドにカチコミに行くということへの気負いをも感じるくらい、日本語ラップ的な作法にきちんと沿ったセルフボーストをシニカルな視点のラップで聴かせていた。それはまるでキックから続く"カンケリ小僧感"を一人でしょいこんだような内容だったのだけども、『愛・自分博』になるとガラリと変わる。自分中心視点の小僧的なラップはほとんど見られなくなり、成長への努力を怠る人に向けて「一歩ずつ進むことの大切さ」を説くようになるのだ。いまや彼の楽曲には、他人に賞賛をせがむようなセルフボーストも無ければ、ボンクラめいた女や金の妄想も無い。常に前向きの姿勢で「人は必ずどこかに弱い部分を持っている」ということを真摯に受け止めて、地に足の着いたメッセージを中心に投げかける。そこらを見渡せばごまんといた"カンケリ小僧"は作品を重ねて、いつのまにか"オトナのオトコ"に成長していた。
すでに彼には、堅実なラップスキルと卓越したトラックメイキング能力が備わっている。しかしそれだけでなく、不特定多数の人に聴かれる音楽を作る中で「自分はどういう人間になるべきか」ということを考え、そこに向かって人間性の面まで切磋琢磨していたのだ。まったく非の打ちどころがない。『よろしくお願いします』を聴いていると嫉妬と劣等感で気が狂いそうになる。
しかしこの嫉妬の原因は、いまの彼の視点に"同性のリスナーの存在"が決定的に欠けているからではないのか、とも思うのである。完璧と言っても過言でない"オトナのオトコ"のメッセージを聴いて、嫉妬でのた打ち回る男は星の数ほどいそうだけど、ケツ振って喜ぶ男が一体どれだけいるんだ? では、日本語ラップリスナーの中では? 嫉みや妬みや怒り、得たいの知れない自信や焦燥、ヒップホップが持つ中坊的な歪さを"オトコらしさ"のフレグランスで完全消臭したKrevaには『新人クレバ』のときにあった類の"おもしろさ"までもが消臭されている。いまの彼の視界には「日本語ラップリスナー」の姿なんか入っていない。(まぁ彼の目指している方向を考えれば、そんな必要ないのだけども。)
しかしこうやって見てみると、これほどクリエイティブなKrevaを「なんだかPOPだから」という理由だけで認めないヤツの了見の狭さは尊敬に値する、という言い分と同様に、まったく疑問を持たずに日本語ラップだと受け入れるヤツのケツの穴の広さも同じくらい尊敬に値する、という言い分もわかるはず。
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