Wednesday, July 03, 2013

KID FRESINO - Horseman's Scheme


KID FRESINOの『Horseman's Scheme』が好きでずっと聴いている。ビートとラップの素晴らしいハマり具合には楽曲の大半のビートを手掛けているjjjの勢いとillicit tsuboiのエンジニアリングの手腕を感じさせるけども、なんといってもこのアルバムの良さはKID FRESINOの生意気なカッコ良さにある。

彼のラップスタイルは、“流れるようなフロウ”というより、”リスナーへ語りかけるようなリズミカルなラップ”と形容したほうがよいだろう。滑舌、間の取り方、緩いbpmにあわせる言葉の置き方……一つ一つの言葉を聴き取り易くて、リスナーに詞を伝える面では理想的なラップなのだけども、そのリリックの内容はリスナーにKID FRESINOの物語(ストーリー)や彼が抱える問題を提示するようなものでは無いところが面白い。ルー語のように英語と日本語がチャンポンされたリリックで語られるテーマは、”俺のラップは如何にカッコいいか”というようなセルフボーストの一点。


「You bark &watch you die
 puffin pocket roll up
 本物だけがこのgameに残るなら
 2014年は俺が生んだwordだけで埋まるな
 Horsemans schemin shitはFlag落とす bowgun
 Miss america rap Themeもう既にIm done」 
 (KID FRESINO "Horseman's Scheme")

「Just take it 俺はすぐそこにいる
 World wide tokaidopeness check rigght?
 まぁこれで業界の足も固まる
 過ぎるブームに踊るfuckin bitchならpass
 限界はとっくに越えたこれが新たなmusicの扉
 即効take&over across the street trip everywhere
 women in the mirror Uknow
 閉じこもったgirlsもノブを捻るniceなrapのskillを持つkiller meets buda」
 (KID FRESINO "New Clear Weapon")

<参考>
 http://www.dogearrecordsxxxxxxxx.com/artists/kid-fresino/horseman-s-scheme-lyrics/


“己のラップのカッコ良さ”を巧みな詞で表現して見栄を切る。それが成功したとき、ラッパーの魅力はリスナーへ効果的にうつる。


「試行錯誤繰り返し生き残るサバイバル オレにとってオレ最大
 宿命のライバル 一冊のライムブック 必殺のバイブル
 握る赤目スコープ越し狙い定めるライフル カートリッジには今10発
 まず2発射ち放ち両足を止め 残り7発
 取り囲むザコを仕留め 1発で勝利の女神始末
 いいか オレは能ある鷹の頭上 遥か彼方高く飛ぶ野望ある鷹」
 (THA BLUE HERB "RAGING BULL")

「一流のファインダー 見透かす二流のフレーズ 三流の売奴のケツ目もくれず
 ガス切れのライター、親指で毎晩こすり上げとぎ上げたペン先は刃
 オレはミラーボールの前に居座る、消えたきりの電球にひかれる男
 焼きつける視界に入ったら最後眠らない残像が日本中を眠らせない」
 (THA BLUE HERB "BOSSIZM")



上に挙げたリリックはTHA BLUE HERBのものだが、リスナーへ”見栄を切る”セルフボースト物として、KID FRESINOのリリックと本質的には同じもののように受け取ることができる。しかし、THA BLUE HERBとKID FRESINOが異なるのは、先にも書いた通り『Horseman's Scheme』の楽曲はセルフボースト物だけで貫かれているところだ。

捻りのある詞をつむぐ"リリシスト"として名高いBOSS THE MCではあるけども、このブログでも度々取り上げてきたとおり、彼にとって”ライフストーリー”こそが楽曲を通して届ける主のテーマであって、彼の詞のセルフボースト的な部分はそのテーマをより際立たせるためのスパイスだ。翻って、KID FRESINOのラップの主のテーマはあくまでセルフボーストであって、そこで”ライフストーリー”は語られない。

思い返せば、SEEDAやSWANKY SWIPEなどのハスリングラップを経由して、2009年当時S.L.A.C.Kの『MY SPACE』がとても新鮮に聴こえたのは、スケートにいったり、彼女と一緒にいることを楽しむような自分の周囲10m程度の出来事をラップしていたようなところだけど、それはS.L.A.C.Kの”ライフストーリー(人生)”ではなくて、”ライフスタイル(生活の営み方)”をリスナーに提示できていたからだったのかもしれない。一人の男の"ライフストーリー"という重たいものではなくて、日々の物事を割り切りながら生活のなかに楽しみを見い出していく軽やかな”ライフスタイル”をラップするS.L.A.C.Kがリスナーにとってクールな存在に見えていたのではないだろうか。

そんなクールなS.L.A.C.Kのラップと比較してみても、「どんな生活を送って、日々どんなことを考えているのか」すら読み取ることが難しいKID FRESINOのラップは、もはや”ライフスタイル”からも切り離されて”スタイル”だけが残ったもののように感じられる。しかし、かつて様々なラッパーが放ったセルフボースト曲に高揚して共感したリスナーがいたように、KID FRESINOの一貫したクソ生意気な”スタイル”にフィールするリスナーもいるだろう。”ライフストーリー”も語らず、”ライフスタイル”も見せず、一貫したスタイルだけでリスナーを引っ張っていく。セルフボーストへの回帰という点ではさんピン世代のラップへの先祖返りのように思えるかもしれないけども、英語と日本語が入り混じりながら幽かに情景が描写されるリリックには確実にTHA BLUE HERBからSWAGまで行き着くジャパニーズヒップホップの流れとセンスが息づいている。聴き易いKID FRESINOのラップは、彼のスタイルを鮮烈なインパクトと共にリスナーに残す。