Wednesday, June 06, 2012

コンシャスラップの季節 ~2012年5月の2つの作品~

2012年は"コンシャスラップの季節"とでもいうか、3.11を意識した政治的なテーマの色が強い作品がいろいろと出ている(このブログでも取り上げたSALU、SNEEEZE、田我流なども含めて)けども、この手のトピックの扱い方1つでそのラッパーの本質があらわれてくるのが非常に興味深い。勿論、それはベテラン勢の作品にも同じことが言える。


■THA BLUE HERB - TOTAL







THA BLUE HERBが日本語ラップ史に名前を刻み、その後多くのラッパーに影響を与えた1stアルバム『Stilling, Still Dreaming』。このアルバムがこれほどまでに大きな作品になったのは、シーンの中心(東京)から遠く離れた地方(北海道)で活動することのフラストレーションが表現の力強さの源となって、THA BLUE HERBという無名な地方のグループが"東京のシーンに対峙して闘う姿"はリスナーへ共感を産むものになっていたからだろう。

しかし、『Stilling, Still Dreaming』がシーン内外で高い評価を受けて多くのリスナーに受け入れられていくにつれて、"認められないことへのフラストレーション"や"東京のシーンに対峙して闘う姿"をあらわすようなラップの色は薄れていき、その一方で濃く浮かび上がってきたのは"THA BLUE HERBが志向するヒップホップ/ラッパーの理想像"だった。楽曲の中身はその "理想像 "を追求していくTHA BLUE HERBの意気込みと、その"理想像"に近い自分達は優れた表現者だというセルフボースト、"理想像"に当てはまらないラッパー/作品は「異端だ」と言ってのけるような原理主義的な(BOSSの言葉で言い換えると、"シャドーボクシングをしている姿"が延々と映し出されているような)ものへと変わっていった。

その"シャドーボクシングをしている姿"が描かれていた2nd、3rdと比較してみると、この4枚目のアルバムとなる本作『TOTAL』は、非常にわかりやすく、共感しやすい内容になっている。ここでうたわれているのは、たとえば「時代の流れで音楽の売上げが落ち込んでいくなかで持つ覚悟」("LOST IN MUSIC BUSINESS")であり、「変わっていく周りの評価のなかで感じるフラストレーション」("MY LOVE TOWN")であり、「シーンで勝ち続けることの重圧や、周りに才能のあるラッパーが次々と出てくることに対する重圧を跳ね返そうとする意気込み」("EVRYDAY NEW DAWN"、"THE NORTH FACE"等々)だったりする。

この『TOTAL』の構図は、『Stilling, Still Dreaming』と近い。THA BLUE HERBは 『Stilling, Still Dreaming』でかつて彼らが立っていた"東京のシーンから遠く離れた地方"を、『TOTAL』で"音楽不況"や"才能のある若手が出てくるシーン"というステージに変えて、『TOTAL』のなかにいるBOSSを『Stilling, Still Dreaming』と同様に"リング(逆境)のなかで闘っている姿"へと仕立て上げる。

そして、3.11のトピックも本作では大きい意味を持つ。『TOTAL』では3.11のキーワードがところどころに散見される程度(3.11に関連するテーマをそのままうたったものは、先行シングル曲" HEADS UP "と特典曲 "NUCLEAR, DAWN "くらいで 、アルバム全体を覆うほどではない)だが、これらのキーワードがさらに本作にひねりを与えて、わかりやすいものにしている。

つまり、BOSSが3.11のキーワードをスピットしながら、自分自身の闘っている姿をそこに重ね合わせることで、"3.11以降の社会"は日本に生きる人間にとって闘って行かなければいけないステージであることを思い起こさせる。嫌な言い方をすると、"3.11以降の社会"をBOSSの"リング(逆境)"に置き換えているのだけど、日本が抱えている問題に対峙して"闘う姿"を示す『TOTAL』は、いまの世の中で"闘っている人"や"闘おうとしている人"、あるいは"フラストレーションを抱えている人"にも響くような、ともすれば『Stilling, Still Dreaming』以上の普遍性を持ってリスナーに共感されるポテンシャルを持つ作品だろう。

■D.O - The City Of Dogg






D.Oの4作目『The City Of Dogg』も同じく、3.11をキーにした特徴的な作品だった。

まず本作に触れる前に、前作『ネリル&JO』を振り返って聴いてみると、大麻取締法違反でD.Oと共につかまった鈴川真一(元力士・若麒麟)がゲストで登場してくるところだけでなく、牢屋のなかで恋人と手紙のやりとりを行う曲や、裁判のなかで抱えていた葛藤を表現した曲等々、D.Oの身に降り掛かったいざこざがアルバム全体のテーマに大きく影響を与えていることがわかる。 すなわち、あの事件がD.Oに突きつけた"世間の常識 "という、D.Oにはハマれない世の中のルールに対する違和感と、そんなルールより自分自身が正しいと思うことを貫こうとする姿勢がこのアルバムの軸になっている。


"I'm Back"

『ネリル&JO』で描かれているこれらのテーマが、ラッパーの持つ"シリアスさ"と"エンターテイメント性の高さ"を如実に顕すギャングスタラップというフォーマットを通して、いかに受け取ることができるかはele-kingに公開された磯部涼のレビューに的確にまとめられているが、やはり、1stアルバム『Just Hustlin' Now』から、事件により発売が中止された2ndアルバム『Just Ballin' Now』へと順に聴いていくと、雷の系譜のボースティングのなかでところどころ顔を見せる言葉("良い悪いはいつ誰が決めた?"、"誰がつくったか知らねぇマヌケなルール"というような)が「ネリル&JO」以降、特別な意味をもっているように聴こえてくる。きっと例の事件が起こる前から"世間の常識"と"自分自身の常識"の間に横たわっている溝は、D.Oにとってラップのテーマになるものだったのだろう。

"N-WAY"

"イラナイモノガオオスギル"

先の『ネリル&JO』のレビューが2011年3月11日に公開されているというのもどこか皮肉なものだけども、そもそも『ネリル&JO』のリリース時点では次に世に出てくるはずの作品は『Just Ballin' Now』のはずだった。しかし、3.11を経て発表された作品は『Just Ballin' Now』ではなく、EP『イキノビタカラヤルコトガアル』とアルバム『The City Of Dogg』だったことにはおそらく大きい意味がある。

『イキノビタカラヤルコトガアル』は"命がけでサバイブしている兄弟たちへ、未来ある子供たちへ、無責任な大人たちへ"のシャウトからはじまり、原発問題で苦しんでいる人たちへ視線をなげかけながらラップが続いていく。そして、それは↓の"イキノビタカラヤルコトガアル"のPVでも聴くことのできるフックのフレーズのように、D.Oの経験を重ねてラップされているものだからこそ、単なる3.11以降の社会へのメッセージソングではない、D.O独自のメッセージソングとして強い輝きを放つ。

"イキノビタカラヤルコトガアル"

続いてリリースされた『The City Of Dogg』でD.Oは『イキノビタカラヤルコトガアル』の"3.11以降の世界"のうえで更にトピックを広げ、ハスリングでサバイブしていく悪党のストリートライフをうたっていく。もちろん、そのラップの主軸は"自分自身の常識"以外は信じられなくなった世界と、その世界に対峙する悪党(ラッパー)の姿勢について。

「コミュニティに向けたラップは怒りなんかに満たされるはずはなく
ラッパーはそれを表現する必要がある
誰でもがそのラップのうえでラッパーのカードをチェックできるように
誰かがそいつの上にあるカードを引っ張りたいと思えば
いつでも示して証明できるようにしておくのが本物のラッパー」("BAD NEWS")

「支離滅裂の例え話 説明もできないバカな大臣 ウソばっかり言う大人たち あれは会議という名の茶番劇
イイ 悪い 間違い 正しい 騒ぎをおこすヤツはみんなおかしい だまってこのまま死んでほしい そう聞こえてきそうなお上の動き」("BAD NEWS")

「イカれてるのは世の中の方 よく見てみろよオレじゃないだろ?」("bye bye")

3.11以降に突きつけられた"世間の常識"の正体。それは、私腹を肥やそうとする人間の傲慢さ、それを野放しにしていた人間の無関心さ、罪や責任から逃れることに必死な人間の身勝手さ、正解が何かもわからない情報を垂流す人間の無責任さ、垂流される情報におどらされる人間の浅はかさ。悪党D.Oが自分のイリーガルな面をさらけ出してみせるのと同時に3.11で出てきた日本の問題をえぐり出してみせることは、悪党のレッテルの横の"世の中の常識"の底に潜む欺瞞をえぐり出してみせることと同義なのだ。

Saturday, May 05, 2012

ヒップホップの"地域性"の話 ~Chief Keefと田我流とUCK Japanese Gangstaと~

■Chief Keef "I Don't Like" & "Bang"

Photobucket

download : "Back from the Dead", "Bang Mixtape"

同郷のよしみかKanye Westが"I Don't Like"をリミックスしたということで、一般的な認知度も高くなってきた2012年ベストハイプのChief Keef。とはいっても、Chief KeefはすでにYouTubeの楽曲が数ヶ月で100万再生を軽く超えるくらいのプロップスをティーンエイジャーを中心に獲得しているので、Kanyeにしてみれば単なるフックアップ以上の"見返り"も見込んでいそうな感じではある。

その"I Don't Like"が収録されている2ndミックステープ『Back From The Dead』だけでなく、1stミックステープ『Bang』からChief Keefはシカゴのティーンエイジャーから圧倒的な支持を受けていた。『Bang』のほとんどのビートを手がけたDJ KENNは山形県出身の日本人ビートメイカーで、2005年にニューヨークへ渡った後に、シカゴに流れ着きそこでChief Keefのオジさんに拾われた縁でChief Keefにビートを提供するようになったという逸話があり、しかも彼が手がけた楽曲のひとつ"Bang"が昨年に公開されてからこれまでに130万再生されてアメリカのキッズ達から注目をうけているという話は、ヒップホップでアメリカ人を納得させる日本のビートメイカーが出てきたという部分で日本のリスナーにとっても非常に興味をそそられるものに違いない。


"I Don't Like"


"Bang"

ただ、そのDJ KENNのビートも、『Back From The Dead』のYoung Chopのビートも巷にあふれかえる"Lex Lugerコピーのビート"と安易にくくってしまうことができるところが、彼らの作風を取り立てて評価するのが難しい部分でもある。Lex Lugerコピーの延長にある作風であればGunplayやFat TrelのほうがChief Keefより優れているという意見も多いだろうし、果たして、Chief KeefはWaka Flockaのようにオリジナルな存在なのか?Odd FutureやA$AP Rockyのように大金を獲得できるのか?

しかもビートだけの話でなく、Chief Keefのラップも単調なギャング物なので、なかなかにChief Keefというラッパーの"秀でた部分"を見つけ出すことは難しい。しかし、それでもあえて言えば彼のクリエイトする楽曲の"ミニマルな部分"にあるのではないかと思う。Lex Lugerコピーのビートの中にも見え隠れするシカゴフットワークの断片と、Lil DurkやKing Louieといった周辺の端整なラッパーと比較してみても、ひときわ枯れて平坦で単調に推移していくラップが、どの曲でも同じように何度も何度も繰り返されることで、高い中毒性を生み出す。


RP Boo "Off Da Hook"


DJ Rashad "Reverb"

ミニマルなビートとラップが中毒性の高い世界を作り出すというところで、やはりWaka Flockaを彷彿とさせる存在ではあるけども、Rich KidzやTravis PorterといったATLの10代のラッパーと比較すると、Chief Keefの殺伐とした空気感は独特だ。この若いギャングスタラッパーが持つ閉塞感はシカゴハウスやフットワーク、The OPUSやRubber Roomのソレとも非常に似通っているけども、果たしてシカゴという地域が醸し出すものなのだろうか…。


Rubbe Room "Acid"


The Opus "Road Seldom Traveled"

■ 田我流 『B級映画のように2』


ここで、話を日本のヒップホップに移す。

2011年に公開され、一部の映画ファンからの評価も高かった映画『サウダーヂ』(監督:富田克也)に準主役として登場していた田我流の2ndアルバムがこの4月にリリースされた。『CDジャーナル』の2012年5月号インタビューでは「謎を多くしているんですよ。変なスキット入れたり。その謎について考えてもらいたい」ということらしく、このアルバムの『B級映画のように2』のタイトル名にも意味はあるが、それはリスナーの想像にまかせているようだ。ただ、『サウダーヂ』で富田克也監督との仕事を通して「今までと曲の書き方が180度くらい変わ」ったという発言や、そのアルバムの題名を見ただけでも、映画がこの作品に落とした影響の大きさを窺い知れることができるし、実際に『サウダーヂ』を観たリスナーにしてみると、彼が"ロンリー"や"Resurrection"で見せる鬱屈は、そのまま天野猛(田我流の役名)が甲府のシャッター街の生活のなかで抱えているもののように、より視覚的なリアリティをもって聴くことができるはずだ。


"Resurrection"

"STRAIGHT OUTTA 138"でのECDとの共演曲などで、この作品が3.11以降の世界に住む人間が抱えた怒りも表現しているところもポイントだ。Amebreakのインタビューでは、「"個"と"社会"、"自分"と"世間"って同じだ」という発言もあるけども、田我流本人が抱える鬱屈が、3.11以降の国家や政治に対する不満や怒りとあわさって、渾然としたより生々しく聴かれるものになっている。パーソナルな感情が"社会の持つ問題"にフォーカスされていくという構造を見ても、2012年ならではの作品と言える。
(リリック面では、"ハッピーライフ"で描かれる「普通の人」は、自分たちの隣で生活している人たちであり、3.11以降の問題をつくってきている<怒りの対象にもなりうる>人たちでもあるということを露出させていて面白かったのだけど、話がずれるので割愛する)

ただ、『B級映画のように2』は地方都市に住む田我流だからこそ作ることのできた"地方のヒップホップアルバム"ではあるに違いないが、その楽曲に甲府の"地域性"が根付いているかという点に関して言うと、かなり疑わしい。『B級映画のように2』で描かれるものは、これまで書いてきたとおり「地方で活動することに対する鬱屈」や「社会への不満や怒り」だ。その魅力はあくまで田我流のパーソナルな部分にあって、甲府という土地自体はこの作品では他の地方都市にも代替可能なものだろう。

さて、では『B級映画のように2』以前ではどうだったか?


"墓場のDigger"

"ゆれる"

■ Mr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangsta 『SAMURAI SPIRITS』


日本のヒップホップを対象に、あらゆるインターネット上の音源をアーカイブするサイト『JPRAP.com』が発見したMr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangstaの音源に触れたときは驚いた。元々、2011年2月にYouTubeに公開された悪羅悪羅系をレペゼンする楽曲も、トランス系のビートのうえでの「悪羅悪羅」連呼というこれまでに聴いたことのない異形さを持ったストレートな表現に衝撃を受けていたのだけど(過去には悪羅悪羅系として見られるラッパーが於菟也がいたけどそういえば彼もUCKと同じく埼玉で活動しているラッパーだった)、3.11を経てつくられた2ndアルバム『SAMURAI SPIRITS』に収録されている曲は更にその方向にブラッシュアップかけたような内容になっていた。


Mr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangsta "Territory ~悪羅悪羅~"



於菟也 "forgive me"

旧車會がバイクの爆音をなびかせる。UCKがトランス系ビートにラップをのせて3.11に亡くなった方への追悼をうたう!ダメージをうけた社会に対するメッセージをささげる!Stop The 原発!!

「3.11に大事な人を亡くした方々/
なかなか立ち直れなくて当然/
あの日以降 ただ呆然と月日は過ぎ行く/
いくら泣きじゃくっても帰らないんだ.../
俺らが叫ばないか?/心の被災者を忘れてないか?」("For JAPAN")

「勤め人が仕事頑張れば 金を使えて経済は潤う/
個人や法人が潤う イコール 金が動く/
金が動けば国は税収入が増え 凄く立派な社会貢献/
テメー事を頑張るのも復興 OK!!」("For JAPAN")



"For JAPAN"


"旧車會 ~宮城魂~"

3.11というキーワードを切り出すと↑の楽曲が特徴的なのだが、リリックも全て直球なので、1stアルバム『MESSAGE』から『SAMURAI SPIRITS』を通して聴くとUCKの人となりがとてもよくわかる。1度目の結婚がDV原因で破局したこと、愛情が強すぎて相手を拘束するヘキがあること、地元の先輩に対してものすごく恩義を感じていること、「Forever」と彫ったタトゥーの意味……。(ちなみに、UCK青少年育成を目的としたNPO法人まで立ち上げている。)

少し話が変わるけども、『Rev3.11』から発刊した電子雑誌『REV MAG vol.1』で、靴底というブロガーに"とある地方での音楽シーンのお話"という記事を寄稿いただいた。この記事では「日本の地方で形作られたヒップホップの姿」が実話/フィクションを織り交ぜながら描かれているが、この記事の話で面白いのは、地方の"先輩"が興味を持っているのはカーオーディオでハマる『スーパーユーロビート』のような音楽であって、CDショップでもクラブでもライブハウスでも、勿論PCで聴かれるような音楽でもないというところだ。車の中こそが"先輩"たちの現場だというところに説得力がある。思い返してみると、私が学生のときにも地元の友達から借り出されて夜中ずっとドライブしているときにはカーステレオからユーロビートが鳴り響いていた。

おそらくこの記事を書かれたときに靴底氏も意識していたと思われるが、この集団が作り上げたヒップホップの形はこれまで紹介してきたUCKの作り出しているものと近い。勿論それは地方で活動している人間だからこそ作り上げることのできるヒップホップの形に違いないけども、彼らの音楽に影響を与えているのは彼らが生活する地域のなか、もっと言ってしまえば彼らが活動する集団やチームのなかに育まれている"カルチャー"だ。

その"カルチャー"は人にとっては、ヒップホップカルチャーであり、日本語ラップカルチャーであり、クラブカルチャーであり、ドラッグカルチャーであり、車文化であり、ゲーム文化であり、アニメ文化だったりする。過去に出会った真新しい(と思えた)音楽を思い返してみれば、それはそれまで自分が知らなかったカルチャーのなかで育まれていたものだったという例が確かにある。カルチャーがローカルな地域のなかで様々に変換され、翻訳/誤訳された果ての表現――それこそを私たちは音楽の持つ"地域性"と呼んでいるのだろう。

Thursday, February 02, 2012

SNEEEZE - DEVICE(発売前レビュー)と "ニュータイプ"がつくるリアルについて



SEEDAから端を発したハスリングラップの"リアル"という概念についてはこのブログで過去にいろいろ書いてきたけども、今回はJPRAP.comのbenzeezyが主宰するレーベル『rev3.11』からリリースされるラッパーSNEEEZEのアルバム『DEVICE』の発売前レビューやネットから発信される若手ラッパーの音源の紹介を交えながら、ハスリングラップから脱皮して日本のヒップホップに新しく芽吹く"リアル"について書こうと思う。

まずは、昨年にミックステープ『Joon In Not My Name』をドロップしたMOMENTの音源から。

MOMENT "外人FLOW"

自らを"外人ラッパー"と名乗るように、韓国から日本に留学してきたコリアンラッパー、MOMENT。↑のYouTubeではリリックが出てくるのでわかると思うが、外人ラッパーといいながらも日本語がとても流暢で、韓国語と英語の3ヶ国語を巧みに操りながらラップをする。この曲でMOMENTは、母国でどんなことを教えられて、どういうポリシーを持ちながら日本でラップをしているのかを丁寧にラップしているが、日本語と英語と韓国語という3つの言語を行き来しながらラップすることで1つの言語でラップするよりMOMENTというラッパーの持つバックボーンの複雑さと、そのバックボーンから生まれるラップに対する想いの強さを効果的にあらわしている。

MOMENT "Nation's Best Kept Secret"


↑はTwitterから火がついてMOMENTの曲のなかで再生数を最も稼いだ曲。コンシャスなラップという意味では右翼ラッパーとして名を馳せるshow-kの曲もTPP問題やマスメディアへの批判、脱原発への反対論など非常に過激なテーマを扱っていてヒップホップ以外の分野でも物議を醸しているけども、"外人ラッパー"であるMOMENTが日本人の政治への関心の薄さに警鐘を鳴らすという、show-kとはスタンスは違えど同じくらい過激な内容の曲。(余談だけど、日本人を批判するこの曲のことをshow-kが評価していたのはちょっと興味深い)

SALU "Taking a Nap"


次の動画はBach Logicが設立したレーベル『ONE YEAR WAR MUSIC』からの契約第一弾アーティストとなったSALUのデビューアルバム『IN MY SHOES』からの1stシングル"Taking a Nap"。SALUはネット上の動画インタビューで「Lil WayneとBob Marleyから影響を受けた」と答えていたけども、実際の曲を聴いてみるとラップスタイルやリリックのスケール感に彼らの影響をたしかに感じさせるところが面白い。

このPVを見ると視覚的にわかるけど(実際のリリックは動画下のコメントに記載されている)、国、世界、地球といった規模のレイヤーでSALUの視点が浮かび上がって、自分達の生活のずっと先にどうしようもなく抱える大きな問題へフォーカスしていく。地球規模にまで視界が広がっていくという意味ではShig02や降神あたりも彷彿とさせるが、昨年の年末にリリースされたミックステープ『Before I Singed』の最後に収録された↓の曲も同じように非常にスピリチュアルで、Shig02や降神と同じく熱狂的なファンを生みだしそうな雰囲気を持つ。

「言葉は世界を彩るマジック/ただ文字・音・振動ではない/
世界が求めているのは愛/でもSEXに溺れて見える訳ない/
ただ無限に続いているまたトンネルくぐっている
ことにも気づかず"無限"の意味をググっている/
トンネルの外はゼロだけど神の名の下に弔いつづける」("Nightmares of the Bottom")

SALU "Nightmares of the Bottom"


自分と音楽業界の状況を"看板に描かれている女の子"になぞらえてラップしたという2ndシングル"THE GIRL ON A BOARD"もアルバムリリースに先駆けて公開されたが、生活の先に潜む深くて大きな問題を描きだすという構造自体は前の2曲と同じで、レーベルがSALUを形容している"ニュータイプ"という言葉のなかにはラッパー個人の生活の話しだけには留まらず、"もっと広い視野をもっている"新しい時代のラッパーという意味合いが含まれていそうだ。

"外人ラッパー"ながら日本の国の問題を考えてスピットするMOMENTや、SALUのギミック……私達個人の生活のずっと先にある、いずれは誰も避けることのできないとても大きな問題までマクロに視点が広がっていくという点は、SEEDA『花と雨』から始まったハスリングラップがラッパー個人の生活に対しミクロにフォーカスして鬱屈めいた個々の問題を描き出していたことと対比すると、確かに新しい切り口(ニュータイプ)のようにも思える。

……とは言っても、コンシャスな切り口、視点がマクロに広がっていくというギミックは、3年前にSEEDAが引退宣言アルバム『SEEDA』で先駆けて既に使っていたわけでそれ自体が新しいというものではない。しかしもし現在、↑に挙げたMOMENTやSALUの楽曲を聴いて"何か新しいもの"を感じたのであれば、それはいまの日本の状況がMOMENTやSALUのうたっている内容に強度を与えているからなのではないかと思う。

SEEDA "DEAR JAPAN"


SEEDA "HELL'S KITCHEN"


↓の曲は2011年3月11日のわずか2日後、まだまだ混乱が冷めないなかでYouTubeにアップされたものだが、震災の起こるまえまで「何もしないで生きるということに勇気を与えたい」というようなことをインタビューで答え、無意味な日常をただ漂うような作品ばかりをリリースしていたS.L.A.C.K.が混沌のなかでこのラップをせざるを得なかったという状況自体が相当にシリアスにうつった人も多かったに違いない。当時この曲を聴いたとき、TVの前でありえないことが立て続けに起こる状況が"リアル"になって、無意味な日常がどこかに遠いところに行ってしまったターニングポイントのように感じられた。

S.L.A.C.K.、TAMU、PUNPEE、仙人掌 "But This is Way"


2011年3月11日を境に意識したくなくても意識しなければならない山ほどの問題が目の前に積まれ、同じように見えるはずの景色が変質した。KLOOZがインタビューで「震災前と震災後でshow-kの見え方が180度変わった」と言っていたことにも象徴的だけど、『SEEDA』がリリースされた2009年当時より"大きな問題"が私達にとってリアルに響くようになったということではないか。

JPRAP.comの管理人benzeezyが主宰する『rev3.11』は、日本のヒップホップで起きている"変質"そのもの扱うレーベルとしてネーミングしたものだという。いや応なく、考え方や意識が変わってしまったアーティストとリスナーが繋がる機会を提供するレーベルだということだろう。神戸在住のラッパー、SNEEEZEはネット配信オンリーのそのレーベルからアルバム『DEVICE』をリリースする。

SNEEEZEのラップの特徴は"精神的にダメージを食らいながらも、そのプレッシャーを跳ね返して前に進もうともがく姿勢"にあるとbenzeezyは言う。

「諦めない事が強さなら/捨てれるかな自分の弱さ/
この世はさ/残酷で無残にも不平等な物でさ
妨げたい/今下げられない/ピンチに3分だけ現れない/
オレはEvery day Every night/戦いの中 昨日の自分を越えたい
<略>
痛くはないでも/もうここには居たくはない
Do or die/やるしかない/ためらっても振られるDice
運命 偶然 必然がごちゃ混ぜ/運も味方につけてRun way
どこまで行けるかさ/なんてじゃなくて息が続くまで走るだけ」("Get Ready")

SNEEEZEがあらわすこの種の葛藤は、彼が1995年に起きた阪神淡路大震災で被災して、その頃から抱えているトラウマから生まれているものだ。もしbenzeezyが言うようにそのトラウマにぶつかって"精神的にダメージを食らいながらも、そのプレッシャーを跳ね返して前に進もうともがく姿勢"をSNEEEZEのラップから感じられるのであれば、それは3.11で意識を変えられた人々にも届くものにもなりうるのではないか。

たとえば、このアルバムに収録されている"Doubt"は東日本大震災以降の国の政治や東京電力にまつわるメディアや情報に対する不信をテーマにつくられたような、『DEVICE』のなかでも最もコンシャスな曲だけども、そんな中にも少しばかりの希望が描かれる。

「ネット,メディアに人は踊らされ/We can't control/でも人は流れ
涙またどこかで枯れても落ちても/Nobody stop that
Hard pressure 波に飲み込まれる/現実逃避ドラマのワンショット
TV, NEWSにBadな話に/さえない政治に無意味な正義
何かを変えれば良くなる/時間はかかるけどまた良くなる
喜怒哀楽上手く使い分け/Pressure Pressuer/上手く潜りに抜ける」("Doubt")


MOMENTの曲は先に挙げたコンシャスなものより大学での生活やモラトリアムや、身の周りの苛立ちや悩みをうたい、『DEVICE』のSNEEEZEの曲は自己の葛藤から生まれる。そういった意味では彼らのラップはハスリングラップでうたわれていた(彼らが自分の身近な物事についてうたっていた)"リアル"にとても近い。

しかし彼らの怒りや葛藤(という単語があらわすものより彼らの曲はもっとクールに聴こえるが)が私達の目の前に立ち塞がり、いずれは解決しなければならない"問題"に向かうとき、それらの問題が"リアルなもの"として浮かび上がってくる。SWAGと言われるUSのヒップホップのモードをファッショナブルに着こなしながら、この新しいレイヤーの"リアル"を提示しているラッパーを"ニュータイプ"と呼ぶのなら、なんとなく説得力はある。

Sunday, January 01, 2012

2011年"ときチェケ"レコード大賞14作品

ハッキリ言って、他のどのメディアやブログを見ても同じようなリストになっているので、あまりリスナーの皆様の参考にならないと思われる2011年"ときチェケ"レコード大賞リスト。でもまぁ、どのメディアも同じ作品を挙げているということは、逆に言えばコレだけ聴いておけば2011年は大丈夫ということだ。…とお茶を濁して、2012年もよろしくお願いします。


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■勝ち組部門
・Jay-Z & Kanye West "Watch the Throne"
・Drake "Take Care"
"Otis"のPVに出てくる改造車をひと目見ただけでも、私たち一般庶民には「俺らめちゃめちゃ金と持っているぜ」感を存分味わえるが、本作『Watch The Throne』をつくるためにホテルの1フロアを貸しきり、各プロデューサ陣に1部屋ずつ与え、ジェイ御大とカニエ先生が自分たちの部屋に1人ずつ呼び出してビートのダメ出しするという部活合宿のセレブ版制作スタイルを聞き、2012年勝ち組大賞を与えることを決定。毎度、作風を変えながらも決して軸がブレないお2人には頭が下がります。
勝ち組部門もう1つのノミネート作品は、Simi Labの"Uncommon"ばりに「非リアって何?非モテって何?」と迫ってくるようなアルバム『Take Care』。愛に飢えてしょうがないモテ男の苦悩(そんなもん知るか!)を色気たっぷりのあま~いコーティングで固めた『Take Care』には勝ち組部門リア充大賞を与える。


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■ハイプ部門
・Tyler, the Creator "Goblin"
・ASAP Rocky "LiveLoveA$ap" :download
・Main Attrakionz "808s & Darkgrapes II" :download
サマソニ出演が決まり日本でもロックファンを中心に広いプロップスを得たODD FUTUREの中核タイラーさんの『Goblin』には日本ベストハイプ賞、アンダーグラウンド感(≒アマチュア感)ばりばりの"Peso"が耳の早いリスナーから支持を集め始めたかと思った次の瞬間には2億3000万円のディールを勝ち得ていたA$APさんに世界ベストハイプラッパー賞を進呈。「Aesop Rockと名前が似ていて紛らわしいね」とか言っていた頃が早くも懐かしい。
 ベストハイププロデューサ賞はMain Attrakionz 『808s & Dark Grapes Ⅱ』。『Live Love A$AP』はあくまでラッパーがメインで素材がそれを支えたクラウドラップ作品だけども、『808s & Dark Grapes Ⅱ』はメイン不在のなか、Squadda Bの人脈を手繰り寄せてありとあらゆるトラックメイカーをぶち込んだ闇鍋。それでも、下手糞なラップも含めて見事にハーモナイズしているあたり、さすが時代の寵児といったところか。


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■クオリティ&コンセプト部門
・Lil B "I'm Gay"
・Kendrick Lamar "Section 80"
・G-Side "The ONE​.​.​.​COHESIVE"
『I'm Gay』、『Bitch Mob』、『BasedGod Veli』、『The Silent President』、『Illusions Of Grandeur』、『I Forgive You』、『Evil Red Flame』、『Black Flame』、『Gold House』……2011年もいったい何枚のミックステープをリリースしたのか正直その全てを追え切れている自信もないLil Bさんが2010年に引き続きノミネート。しかも、それらすべてのコンセプトや音楽性が微妙に変えられ、違った印象を残すところも流石。それぞれがミックステープの海賊盤っぽさというか、アマチュア感("Based"って"アマチュアリズム"ってことなんじゃない?)を残す中、商業リリースなだけに一番まともでパッケージ感とコンセプト力のある『I'm Gay』に賞を送りたい。
あとは、Lil Bとは真逆に隙という隙がなく、純粋に作品的なレベルが高いKendrick Lamar『Section 80』とG-Side『The One』を聴いておけば良いんじゃないでしょうか。この2名には新人賞を与えます。"新人"じゃない?いいんだよそんなの。


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■ギャングスタ部門
・AraabMuzik "Electronic Dream"
・Waka Flocka Flame, Trap-A-Holics "DuFlocka Rant (10 Toes Down)" :download
・Meek Mill, DJ Drama "Dreamchasers" :download
実はほとんど毎年「果たしてヒップホップなのか?」と疑問を持たれる作品をリストに入れているのだけども、その"麒麟枠"にAraabMuzikをセレクトイン。他人のヒット曲へアマチュア感丸出しなリミックスを施しただけで、あたかも自分の手柄扱いする姿勢がベストギャングスタということで。
あとは、Lex Lugerのビートを用いずとも充分"金太郎飴的なパンクミュージック"を量産するWakaさんと、RickRossからディールを得てヒット作を連発するくらい運気がまわってきた感のあるMeekさんが入賞。Wakaさんはメジャーからディールを得ようとも同じようなパンクミュージックをギャングスタイルで作った前例があるけど、果たしてMeekさんはメジャーからスタンスを崩さず良作をクリエイトできるか?


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■負け組部門
・Danny Brown "XXX" :download
・Mr. Muthafuckin' eXquire "Lost In Translation" :download
・SPVCXGHXZTPVRRP "Blvcklvnd Rvdix 66.6 (1991)" :download
ドラッグとセックスに塗れながら何の充足感もなく30歳になってしまった絶望と怨念だけがパッケージングされた『XXX』が負け組部門の堂々たる大賞を獲得。成功への道をひた走るMac Millerに対して「(もしMac Millerに会ったら)オマエのことが嫌いすぎて申し訳ないと言いたい」とインタビューで答えるって、どんだけリア充が嫌いなんだ。あとコレをベストラップアルバムに選ぶ批評家各位も相当病んでいると思う。
SPACEGHOSTPURRPのビデオ(http://www.youtube.com/watch?v=xcgHmVgzPzw)とMr.Muthafuckin' eXquireのミックステープジャケは不気味すぎて、「往年のアンダーグラウンドヒップホップからの影響云々」とか多くを語らずも負け組と認定。