THA BLUE HERBが日本語ラップ史に名前を刻み、その後多くのラッパーに影響を与えた1stアルバム『Stilling, Still Dreaming』。このアルバムがこれほどまでに大きな作品になったのは、シーンの中心(東京)から遠く離れた地方(北海道)で活動することのフラストレーションが表現の力強さの源となって、THA BLUE HERBという無名な地方のグループが"東京のシーンに対峙して闘う姿"はリスナーへ共感を産むものになっていたからだろう。
しかし、『Stilling, Still Dreaming』がシーン内外で高い評価を受けて多くのリスナーに受け入れられていくにつれて、"認められないことへのフラストレーション"や"東京のシーンに対峙して闘う姿"をあらわすようなラップの色は薄れていき、その一方で濃く浮かび上がってきたのは"THA BLUE HERBが志向するヒップホップ/ラッパーの理想像"だった。楽曲の中身はその "理想像 "を追求していくTHA BLUE HERBの意気込みと、その"理想像"に近い自分達は優れた表現者だというセルフボースト、"理想像"に当てはまらないラッパー/作品は「異端だ」と言ってのけるような原理主義的な(BOSSの言葉で言い換えると、"シャドーボクシングをしている姿"が延々と映し出されているような)ものへと変わっていった。
その"シャドーボクシングをしている姿"が描かれていた2nd、3rdと比較してみると、この4枚目のアルバムとなる本作『TOTAL』は、非常にわかりやすく、共感しやすい内容になっている。ここでうたわれているのは、たとえば「時代の流れで音楽の売上げが落ち込んでいくなかで持つ覚悟」("LOST IN MUSIC BUSINESS")であり、「変わっていく周りの評価のなかで感じるフラストレーション」("MY LOVE TOWN")であり、「シーンで勝ち続けることの重圧や、周りに才能のあるラッパーが次々と出てくることに対する重圧を跳ね返そうとする意気込み」("EVRYDAY NEW DAWN"、"THE NORTH FACE"等々)だったりする。
この『TOTAL』の構図は、『Stilling, Still Dreaming』と近い。THA BLUE HERBは 『Stilling, Still Dreaming』でかつて彼らが立っていた"東京のシーンから遠く離れた地方"を、『TOTAL』で"音楽不況"や"才能のある若手が出てくるシーン"というステージに変えて、『TOTAL』のなかにいるBOSSを『Stilling, Still Dreaming』と同様に"リング(逆境)のなかで闘っている姿"へと仕立て上げる。
そして、3.11のトピックも本作では大きい意味を持つ。『TOTAL』では3.11のキーワードがところどころに散見される程度(3.11に関連するテーマをそのままうたったものは、先行シングル曲" HEADS UP "と特典曲 "NUCLEAR, DAWN "くらいで 、アルバム全体を覆うほどではない)だが、これらのキーワードがさらに本作にひねりを与えて、わかりやすいものにしている。
つまり、BOSSが3.11のキーワードをスピットしながら、自分自身の闘っている姿をそこに重ね合わせることで、"3.11以降の社会"は日本に生きる人間にとって闘って行かなければいけないステージであることを思い起こさせる。嫌な言い方をすると、"3.11以降の社会"をBOSSの"リング(逆境)"に置き換えているのだけど、日本が抱えている問題に対峙して"闘う姿"を示す『TOTAL』は、いまの世の中で"闘っている人"や"闘おうとしている人"、あるいは"フラストレーションを抱えている人"にも響くような、ともすれば『Stilling, Still Dreaming』以上の普遍性を持ってリスナーに共感されるポテンシャルを持つ作品だろう。
■D.O - The City Of Dogg
D.Oの4作目『The City Of Dogg』も同じく、3.11をキーにした特徴的な作品だった。
先の『ネリル&JO』のレビューが2011年3月11日に公開されているというのもどこか皮肉なものだけども、そもそも『ネリル&JO』のリリース時点では次に世に出てくるはずの作品は『Just Ballin' Now』のはずだった。しかし、3.11を経て発表された作品は『Just Ballin' Now』ではなく、EP『イキノビタカラヤルコトガアル』とアルバム『The City Of Dogg』だったことにはおそらく大きい意味がある。
続いてリリースされた『The City Of Dogg』でD.Oは『イキノビタカラヤルコトガアル』の"3.11以降の世界"のうえで更にトピックを広げ、ハスリングでサバイブしていく悪党のストリートライフをうたっていく。もちろん、そのラップの主軸は"自分自身の常識"以外は信じられなくなった世界と、その世界に対峙する悪党(ラッパー)の姿勢について。
その"I Don't Like"が収録されている2ndミックステープ『Back From The Dead』だけでなく、1stミックステープ『Bang』からChief Keefはシカゴのティーンエイジャーから圧倒的な支持を受けていた。『Bang』のほとんどのビートを手がけたDJ KENNは山形県出身の日本人ビートメイカーで、2005年にニューヨークへ渡った後に、シカゴに流れ着きそこでChief Keefのオジさんに拾われた縁でChief Keefにビートを提供するようになったという逸話があり、しかも彼が手がけた楽曲のひとつ"Bang"が昨年に公開されてからこれまでに130万再生されてアメリカのキッズ達から注目をうけているという話は、ヒップホップでアメリカ人を納得させる日本のビートメイカーが出てきたという部分で日本のリスナーにとっても非常に興味をそそられるものに違いない。
"I Don't Like"
"Bang"
ただ、そのDJ KENNのビートも、『Back From The Dead』のYoung Chopのビートも巷にあふれかえる"Lex Lugerコピーのビート"と安易にくくってしまうことができるところが、彼らの作風を取り立てて評価するのが難しい部分でもある。Lex Lugerコピーの延長にある作風であればGunplayやFat TrelのほうがChief Keefより優れているという意見も多いだろうし、果たして、Chief KeefはWaka Flockaのようにオリジナルな存在なのか?Odd FutureやA$AP Rockyのように大金を獲得できるのか?
次の動画はBach Logicが設立したレーベル『ONE YEAR WAR MUSIC』からの契約第一弾アーティストとなったSALUのデビューアルバム『IN MY SHOES』からの1stシングル"Taking a Nap"。SALUはネット上の動画インタビューで「Lil WayneとBob Marleyから影響を受けた」と答えていたけども、実際の曲を聴いてみるとラップスタイルやリリックのスケール感に彼らの影響をたしかに感じさせるところが面白い。
このPVを見ると視覚的にわかるけど(実際のリリックは動画下のコメントに記載されている)、国、世界、地球といった規模のレイヤーでSALUの視点が浮かび上がって、自分達の生活のずっと先にどうしようもなく抱える大きな問題へフォーカスしていく。地球規模にまで視界が広がっていくという意味ではShig02や降神あたりも彷彿とさせるが、昨年の年末にリリースされたミックステープ『Before I Singed』の最後に収録された↓の曲も同じように非常にスピリチュアルで、Shig02や降神と同じく熱狂的なファンを生みだしそうな雰囲気を持つ。
「言葉は世界を彩るマジック/ただ文字・音・振動ではない/ 世界が求めているのは愛/でもSEXに溺れて見える訳ない/ ただ無限に続いているまたトンネルくぐっている ことにも気づかず"無限"の意味をググっている/ トンネルの外はゼロだけど神の名の下に弔いつづける」("Nightmares of the Bottom")
SALU "Nightmares of the Bottom"
自分と音楽業界の状況を"看板に描かれている女の子"になぞらえてラップしたという2ndシングル"THE GIRL ON A BOARD"もアルバムリリースに先駆けて公開されたが、生活の先に潜む深くて大きな問題を描きだすという構造自体は前の2曲と同じで、レーベルがSALUを形容している"ニュータイプ"という言葉のなかにはラッパー個人の生活の話しだけには留まらず、"もっと広い視野をもっている"新しい時代のラッパーという意味合いが含まれていそうだ。
「諦めない事が強さなら/捨てれるかな自分の弱さ/ この世はさ/残酷で無残にも不平等な物でさ 妨げたい/今下げられない/ピンチに3分だけ現れない/ オレはEvery day Every night/戦いの中 昨日の自分を越えたい <略> 痛くはないでも/もうここには居たくはない Do or die/やるしかない/ためらっても振られるDice 運命 偶然 必然がごちゃ混ぜ/運も味方につけてRun way どこまで行けるかさ/なんてじゃなくて息が続くまで走るだけ」("Get Ready")