2007 juked and observed
□ 2007年 定点観測15
ベスト的側面と観測的側面をあわせもった万能リスト
El-P
"I'll Sleep When You're Dead"
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「あらゆるジャンルの音楽を自分流に咀嚼して吐き出す」という面で、M.I.A.やTTCと同じ方面にいるはずの人だけども、「我」の強さにおいては他の追随を一切許さずはばたいているので、結果的に誰もいない座標に独りポツンと位置していた。とことん煮詰められた作品の核に「ミドルスクールヒップホップ」が根強く鼓動を打っていることを確認できるだけでもヒップホップファンに大きな安心感を与えてくれそうだけども、反面、模倣すら困難なこの作風には誰もついていくことはできないだろうという不安な気持ちにもさせてくれる。おそらく、この先にも後にもEl-P以外誰もいない。究極のオリジナリティ一点突破作品。
Burial
"Untrue"
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グリッチ・ノイズを嫌い、エレクトロニカは全てゴミだと言い切る。Basic ChannelもPoleもUK的なヴァイブスがないからというだけで嫌う排他的で視野狭窄なUK至上主義者の音楽がなぜこうも支持される。雨の音、ライターの音から、ヴィン・ディーゼルの映画、メタルギアソリッドで銃弾がコンクリートに当たる音などなどをシーケンサーも使わずに波形で貼り付けていく。インターネットも特にはせず、自分の生活圏に入ってこない音は一切自分の音楽に取り入れない。純粋にイギリス的な音楽の意思を亡霊のように紡ぐ行為が雑食的な音楽が当たり前な世の中で気高く映る。
soso
"Tinfoil on the Windows"
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去年聴いたカナディアンナードラップはそのルーツを辿ることができなくなるくらい異形に進化していてどれも大変面白かった。しかし、確かに面白いことは面白いのだけども、もはや異形すぎていまやその聴き手の顔が一切わからないというなんともいえない不気味なオーラをも身に纏っていた。そんな中、「静かな狂気」という言葉が似合う前作"Tenth Street and Clarence"の「到達点」を軽々しく突き破り、その世界を塗り固め続けているsosoの孤高で高潔な姿勢を見て、畏れと恐れを抱かないはずがない。彼の音楽の先に広がるのは異界、聴き手の正体は不明。これはまさしく「ホラー」だ。
UGK
"Underground Kingz"
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[UGK濃密度UGK]
M.I.A.
"Kala"
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「使い捨てで、海賊版的で、移民的。」というM.I.A.の言葉以上にこの作品をうまく言い表せるスキルがないのが残念でしょうがありません。00年代のヒロインはこれから先も辺境に立ち上る音楽を貪り喰い、自己破壊と自己再生を繰り返すことでしょう。そのサマはまるでインフルエンザのウイルスのようでもありますが、辺境音楽をポップに昇華してリスナーに感染させるという意味においては言い得て妙かもしれません。
Prefuse 73
"Preparations"
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TTCにしても、Jay-Zにしても、El-Pにしても、このPrefuse 73にしても、サイトが出来た当初からずっと何かを書き続けている気がする。要は、時間の流れと共に音楽の主流が変わり、ヒップホップも相応に変化しつづけているけども、これらのアーティストの作品の「軸」は全くブレていないのだろう。うわべの音楽(器)やそのムードやリリック(中味)が時流に合わせていかように変化しようとも、自分自身の「音楽観」と何の為に音楽を作っているかという「目的意識」がブレていなければ、聴き手に対してファーストインパクトをずっと維持して与えつづけられるということなのかもしれない。振り返ってみれば"Vocal Studies + Uprock Narratives"からだいぶ遠いところにたどり着いた感もあるけども、その「軸」はブレずに更に先の道へ続いていることが感じ取れるはず。たとえその道が「ヒップホップ」から離れているように見えたとしても。
Jay-Z
"American Gangster"
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ハイパーセレブビューティフルプレイヤースーパースター。ヒップホップにまつわるある種のプロップスは「ストリートたりえる」ことで手に入れられることに気付いたJay-ZとNasはその後競い合うように「ストリートっぽさ」を加味したアルバムをリリースするようになりました。しかしともすれば、「ただタイトなだけ」の退屈な作品になってしまうところへ忘れずに煌びやかな装飾を施すこのサービス精神とバランス感覚はやはり一流のわざと言えましょう。このダウンロード時代にあって、身の回りに転がっている曲を詰め合わせて出来合いのアルバムを作るのではなく、ごく短期間で一貫した作品コンセプトを明確に打ち立てて、良曲をピックアップし、曲数を含めてコントロール出来ているのは、彼のアルバムを「作品」として聴くリスナーの姿がきちんと見えている証拠であり、すなわちJay-Zこそが正真正銘のヒップホップクリエイターだということの証明でもあるのです。
Kanye West
"Graduation"
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往々にして人は何かを得るためには別の何かを捨てなければならないケースがままある。両方とも救ってみせる! という幼稚な態度は少年漫画の主人公にのみ許された特権だけれど、エゴが肥大化した今のカニエ先生のスーパースターぶりは少年漫画の主人公などとっくに凌駕しているので平気で全てを救ってしまう。どさくさに紛れてNas, KRS-One, Rakimとともに"Classic"に参加し、Commonのアルバムの大部分を荷うヒップホップの良心としてのポジション、50とバトルして一週間に90万枚を売り上げる商業ヒップホップのど真ん中を背負うポジション、myspaceや海外のブログで大人気のKid Sisterのシングルにめざとく参加してしまう(というかFool's Goldのオーナーが自分のバックDJだ)新しいもの好きなミーハーさ。どう考えても矛盾した八方美人的な立ち振る舞いを捨てる気はさらさらないどころか、どのポジションの人にもアピールできるエクレクティックな音を提示してしまうので、アルバム一枚延々と「俺はすごい」としか言っていなくとも、たしかにすごいよと誰しもが納得してしまうのだろう。
TTC
"3615 TTC"
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よく考えたらメンバー6人中4人もトラックを作れるという時点で何かがおかしい。ATKやKlub Des Loosersからメンバーが電撃移籍! とかメタルバンドじゃあるまいし。
Durrty Goodz
"Axiom"
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そもそもグライムの美しさとは何の音楽的バックグラウンドもないティーネイジャーが人生の中でわずか数ヶ月だけ熱心に音楽を作ってはやめていく儚さの中のエネルギーの発露にあるわけで、クレジットもあやふやな音楽がMP3として霧散していくアートフォームに「音楽的完成度」は無縁のものだった。だからこそ、今日までまともにCDとして作品化されたものに名作はほとんどなく、あったとしてもWileyやSkeptaのように失くしたグライムの歪さをUSヒップホップで補ったものか、JMEのようにイギリス的な作風を突き詰めたものしかなかったわけだけれど、古参のDurrty Goodzはこの作品でその狂乱のイメージを失わずパッケージング化することに初めて成功したと言っていい。Afterlifeの喧騒的なライミング、Rubberoomの突き刺すようなフューチャリスティックさ、Ward 21の強迫的でマッドなリズム、20世紀末~21世紀初頭の精神錯乱した宿痾の妄想から生まれ落ちたアンダーグラウンドのクリエイティビティーは何処かへ消えてしまったかのように見えたが、まったく関係のない文脈の此処で確認することができる。
Federation
"It's Whateva"
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一昨年の"18 Dummy"はジャンルに振るい落とすなら確実にSpank Rockと同じ枠にぶち込まれること必至の西海岸一しょうもない音楽を作っているFederation。これでも西海岸のギャングスタラップは大して聴いてなくて、Heltah Skeltahなどの東海岸のリアルヒップホップに入れ込んで育ったと言う。音だけでなくメンタリティもDiplo周辺の人たちと同じでブーンバップでコンシャスなものに限界を感じてしょうもないことをやっているのか? と一瞬疑いたくもなるが、「俺は半猿半哺乳類!」とか叫んでるので素で頭が悪いだけに違いない。
South Rakkas Crew
"Mix Up"
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ニューレイヴという言葉もなんだか懐かしい気もするがそんな言葉ができる昔からそんな音を作っていた人たちにはドフォーレ商会を無料で買収できるくらいの時代の風が来ている。
らっぷびと
"らっぷびととみくすびとの憂鬱"
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SOURCE JAPAN ONLINEにもいろいろ書いたけども、日本語ラップにおいて07年は「革新の年」という言葉がピッタリ合う。だから「新しさ」という観点で見ると、あらゆる作品がフレッシュに映るので、一概にどれが良かったかと選ぶのはなかなかに難しい。そんな中でも「突出している」と感じたものを敢えて選出すると「リアル」という言葉を一から考え直したくなるThug FamilyはTOPの"Street Tale"と、「汚らしい」という言葉こそ相応しい"JP State of Mind"に登場するFRGのラップスタイル、そしてこのらっぷびとだろう。
「アニソンの替えラップ」と言って一蹴してしまえばそれだけだけど、ニコニコ動画を介して延べ100万回以上再生されたり、「ヒップホップを聴いたことないけどラップをしてみた」という人が彼の後ろにぞろぞろ出てきたり、その影響力は本物。黎明期のヒップホップならびにマッシュアップのイリーガルな痛快感を、現代のヒップホップでは蔑まれ絶滅したHeartsdales~laica breeze的なスタイルで体現している倒錯感だけでも瞠目すべきだけども、加えてKick the Can Crewや韻踏合組合などを愛聴し日本語ラップ正当のライミングテクニックを理解しているという事実がこの作品に二重にも三重にもねじくれたラディカルさを与えている。それらを踏まえると、彼が集約して拡散させたモノの大きさというか、「日本語ラップの可能性の広がり」を感じずにはいられない。
MP2
"XXX-File"
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NOT USE P2Pの文句にどれほどの意味があるのかわからない限りなくイリーガルに近いリーガルミックス。違法なことをやっている奴が勝手に合法的に配ってるんだから俺は白だ! という拡大解釈した法律の隅を突くようなダーティーさに富んでいる。
Justice
"†"
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特にラップ向きの曲でもないのに、なぜか大勢がこぞって"D.A.N.C.E."でラップしたがっていた現象やKanyeやSwizzがDaft Punkをサンプリングした現象を見ると、フレンチエレクトロがヒップホップ界を席巻しているような錯覚を覚えるが、「Para Oneのことが好きだ」というラッパーの話は一切聞かないので、JusticeとDaft Punkの過去の曲を掘り起こすサンプリングアティテュードがヒップホップサイエンスからも理解しやすいというだけのことなのだろう。そう考えると、マイケル・ジャクソンの"P.Y.T."に捧げられた"D.A.N.C.E."と"P.Y.T."をサンプリングしたKanyeの"Good Life"のPVが両方ともJonas & FrançoisとSo-Meの仕事なのは必然というか、アーティスト側から音楽像をわかりやすく噛み砕いてくれているとも言えるのではないか。
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