Monday, December 29, 2008

Lil'諭吉 - Supa Hypa Ultra Fres$shhh






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ユリイカの初音ミク特集号で初音ミクの生みの親の佐々木渉が「ニコニコ動画でキーボードクラッシャーの動画を見て楽しむ感覚と、ノイズビートを聴いて楽しむ感覚の間に大差は無い」と言い、また、「ダウナーな部分に惹かれる日本のオタクにはエレクトロニカやアブストラクトを理解できる素地がある」というようなことを言っていて、それらの発言にとても共感した。

さらに彼の発言をかいつまめば、「誰でも簡単に楽しめる入り口さえ与えれば、音楽は容易に浸透していく」というようなことを言っていて、たとえばニコ動や初音ミクや東方がオタクたちに「ネタ的に音楽を消費する機会」を与えていて、ネタとして何気なく観ている動画の中でハードコアやアブストラクトミュージックが流れ、それを違和感なく聴くようになっていると。そして、そういうサイクルができあがると、いままでは敷居の高かったジャンル音楽も普通にみんなが聴いて楽しめるものになっていき、それまで一般的には理解されにくかった音楽が世の中に浸透していく道筋がけっこうわかりやすく解説されていた。

他にも、「入り口」が変わることで音楽のマーケットが広がり、ジャンルの形や発展の仕方も変わってくるということを別の切り口で説明していたのが08年の春頃に出ていたDJテクノウチ監修の『読む音楽』。この中で書かれているJ-COREというジャンル音楽が形成されるまでの過程もかなり面白い。

「J-CORE」はハードコアがベースになっているジャンル音楽なのだけども、世界中のどこを見渡しても日本にしかない音楽へと発展したもので、このジャンル音楽を作り上げた要素がビートマニアであり、ひいてはドラクエやFFなどの「ゲーム音楽」だということが書かれている。もともとは海外アーティストのベーシックな音楽を提供していたビートマニアが、日本のゲーマーにウケるBPMがやたら早くてメロなビートで作られるようになり、その流れで国産のハードコアミュージックが出来上がっていったというプロセスが紹介されていた。そしてその音楽を作るアーティストも元々はドラクエサントラのブックレットに載っている楽譜からひきなおした楽曲を作っていたような人たちで、そこに日本の独自の要素が盛り込まれていったと。そういった背景が、ビートマニアで流れていたハードコアやガバといった音楽を勉強し、ビートマニアの中にある快楽的な方面を追求していった結果、J-COREに辿り着いたというDJテクノウチの実体験をもとに描かれている。

ビートマニアという「入り口」がハードコアやガバといったジャンル音楽を一般に浸透させ、そのプロセスから「J-CORE」という日本独自の音楽とそれを消費する市場を作りあげた。ここで感動的なのは、佐々木渉のインタビューにあるような「誰でも簡単に楽しめられる入り口さえ与えれば、音楽は容易に浸透していく」ということが昔から普通に起きていたということと、「新しい入り口があれば、そこに新しい市場が開ける」ことが証明されているところだ。

言うまでもなく、日本語ラップは「アメリカのヒップホップを日本語でやってみた」というようなアングラ音楽(≒キワモノ音楽)として出発し、シーン自体も同様にサブカルチャーの方面から発展していった。メジャーフォースやスチャダラパーあたりはそもそもがサブカル出自なのでわかりやすいけども、キングギドラやマイクロフォンペイジャーから始まるハードコアな日本語ラップでさえ、そのベースになるヒップホップを理解でき、それを地で日本語でやることの面白さをわかるごく一部の層だけに支えられ、作り上げられてきたサブカル音楽に他ならない。(だからこそ、地方に住む不良までもがその日本語ラップのバトンを受け取った今の状況になってさえ、この音楽の根底に潜んでいるのは80年代後半~90年代前半の間に培われたサブカルチャーの価値観<押韻、言葉遊び的パンチライン、ハードコア・アングラ主義 etc..>なんじゃないかとも思う。余談だけども)

ということは、サブカルからの入り口ではない、他の入り口が開けたら、サブカルの土台でできた日本語ラップとはまったく別の新しい日本語ラップができることもありえるのではないかと考えることができる。ある意味では、商業的な入り口からつくられた「J-RAP」なんかはそういうものだろう。

さてここまでが前段。この文章で言いたかったのは、07年にらっぷびとがニコ動から発見されて、08年にはミニアルバムまでリリースされたけども、彼によって見つけられた「入り口」の革新性について。

つまり……
1. 「ネタ」を上手く取り込んでいけば、日本語ラップを一般に浸透させることができる
2. サブカルの土台に載らない、オタク的視点の新しい日本語ラップが作られる
3. 新しい日本語ラップのうえに新しいマーケットをつくることができる
というような、既存の価値観をすべて覆すくらい大きい可能性がそこにはあるということ。残念ながら、らっぷびとや他のニコラップアーティスト(タイツォン、アリカetc..)にフォーカスを当てるようなメディアも言説もほとんど無く、らっぷびとのアルバムリリースだけで終わってしまうかもしれないけども、それでもこのような「入り口」と「可能性」は残り続けるということだけは強調しておきたい。

だからこそという訳で、いま敢えて、この新潮流の中でひときわ奇怪な動きを見せているLil'諭吉(Cherry Brown)をプッシュしておく。

Lil'諭吉はニコ動でも南部ヒップホップとアニソンのマッシュアップをたくさんアップしている、一言でいえば「サウス好きでアニヲタのゆとり世代のバイリン」。フリーで彼の楽曲を落としてこれるのだけども、それら全てが「ネタ」の極みで、扱うテーマ全てがナンセンスの極北にある。ついこのあいだ彼の所属するTrill Grillzでインタビューを受けていたけども、いわく「実際今流行ってるサウスっていうのは昔からヒップホップを聴いてる人からみれば軽いからじゃないですか? くだらないとか。まぁ、僕は逆にそこが大好きなんですけどね」とのことで、その発言には「"軽薄さ"こそが正義!」というような正にゆとり世代的独特の新しい価値観が芽生えはじめていることをうかがわせる。そんなゆとり代表のLil'諭吉が手がけるワークは↓のような感じ。

・ ALI PROJECT×Project Pat マッシュアップ(サンプリング)

T-PAIN×幾三 マッシュアップ
Soulja Boy×ハルヒ マッシュアップ
らき☆すたリミックス
Trill Grillzの楽曲での東方アレンジ
・ Trill Grillzの楽曲での初音ミク調教
Lil Wayne "Lollipop"をコピーしたビートの上でホモのギャングスタに金玉を舐められて嫌がる楽曲
・ 好きなアニメキャラのチャームポイントをレペゼンして、ひたすら「俺の嫁だ」と紹介しつづける楽曲(最後には「なぜか画面から出てこねー」と絶望)
・ モニターの前でアニメに萌えている20歳の自分に絶望して、ただ「高校生に戻りたい」と連呼する楽曲
・ クラブにいるビッチに「どけよアバズレ!」「クラブから出てけ!」「この糞DQNがっ!」とか色んな言葉でののしる楽曲(でも女の子をDISる曲ではない。←本人の弁)

この際、このゆとり世代的なリリックと軽薄なサウスはやっぱりすこぶる相性が良いだとか、初音ミクはサウスのためにあるんじゃないか? とか野暮なことはもう言わない。しかし、サウス好きとアニヲタの間にもし溝が無いのならば、「ニコニコ動画でアニソンのマッシュアップを聴いて楽しむ感覚と、日本語の南部ヒップホップを聴いて楽しむ感覚の間に大差は無い」とまで言い切ってしまいたい。もし、その感覚が同じものだと言えるのならば、「ヲタ的日本語ラップ」と「日本語でのサウスラップ」という2重のネジれた革新性を持って、いままで作られたどんな日本語ラップよりもギリギリの先端のほうにいるLil'諭吉にはいずれ大きな福音がもたらされるはずだ。…もしかしたら、それは20年後かもしれないけども。

Sunday, December 28, 2008

Kanye West - 808s & Heartbreak






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「アイデアは出つくしたと言われる時代です。しかし、既にあるものを組みあわせていけばまだ未来は作れるはずです。独創性への幻想は終わっているのだとすれば、誰でも何でも新しいものを作るチャンスがあるはずです」(村上隆「芸術起業論」より)

音楽家として超一流とは言えないKanye Westがそれでも超一流のアーティストたりえるのは、誰よりも明確なヴィジョンを持ち、誰よりも音の必然性を重視しているからだ。2ndでのWestは音楽家/発言家としての深化を装いシリアスぶりたかったからこそJon Brionのオーケストレーションを利用してみせ、3rdでみせたエレクトロ/サウスへの歩み寄りは、「俺はシリアスな話題を啓蒙する優等生なだけでなく流行の最先端がわかっている超クールなヒップスターでもある。どうだ? 俺はすごいだろ?」と言いたいだけの空っぽな内容にぴったりの音だった。

母親が亡くなり、婚約者と別れ、俺は傷心している、お前が悪い、誰にも俺の心のうちはわからない、と独りよがりな気持ちをぶつける"808s & Heartbreak"では孤独、悲しみ、被害妄想、昂ぶりなどの整理されないままの感情をつきつめ、調子のはずれた電子音やトライバルな太鼓、オートチューンでリアリズムを放棄した不安定な歌声をアートにかぶれた凄愴な音像に具体化して、意味づけを行ってみせる。

この作品での最大のはったりは、「安っぽくて誰にでもコピー可能な808の無機質な音にはエモーションを喚起させる普遍性が存在する」というJon Brionの言説に従って、「オートチューンにも同様のエモーションを喚起させる普遍性が存在する」とでっち上げてみせるところにある。「お前らが散々ワックだと騒ぐオートチューンにはお前らごときには理解できない真理がある。それを発見した俺はすごい」といういつもどおりの自尊心に満ち溢れたWestらしいコンセプトだろう。

Westは音楽家としての自分の限界を誰よりもよく理解している。J Dillaのような一つの道を究める求道家でもなければ、Andre 3000のように限界を打破する革新的なアイデアを持っているわけでもない。それでも、ヒップホップの文脈の上で何をやれば新鮮に映るか、冒険的と言われるのかを徹底的にリサーチして、既存のフォーマットを組みあわせることで、「新しいもの」を常に提示することができる。歌を歌うラッパーは今では五万といる。オートチューンや808は氾濫している。内省的なコンセプトにしてもアンダーグラウンドや他ジャンルでは散々やりつくされたことだ。それでも、それらを組み合わせれば誰も聴いたことのない"808s & Heartbreak"を作ることはできる。

別に新しいアイデアも必要なければ、自分だけの力で作品をつくりあげる必要もない。必要なものは、いま求められているものは何か? を肌で感じられるセンスと、音楽シーンにおける"文脈"への理解。古いものと新しいものを見分ける知識と能力さえあればいい。あとは、自分に明確な作品のヴィジョンと莫大なマネーさえあれば、誰にだってこのレベルの作品を作ることができる。"808s & Heartbreak"ではWest自身が何をやっているのかわからないほど、作曲/編曲にJeff Bhasker, Young Jeezy, Consequence, Esthero, Kid Cudi等々、使えるマンパワーとマネーを湯水のごとく総動員し、2週間で作り上げて、それを証明してみせた。