Sunday, October 26, 2008

BES - Rebuild






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いまの日本語ラップで表現されている「リアル」とは「過去の経験のリアル」と、「自分を取り巻く環境や生活のリアル」と、「本音や素直な感情のリアル」の3つに大きく別けられる。たとえばBRON-Kは『奇妙頂来相模富士』で「過去のリアル」をロマンチックに表現したし、MSCは「環境のリアル」を『MATADOR』で見事に描き出し、環境に翻弄され葛藤を抱える不良ラップの礎を築いた。しかし、過去の経験を切り取ることには限りがあるし、自分を取り巻く環境は絶えず変化しつづける。誰もがそんなにドラマティックな経験に満ちているわけでもないし、いつまでもストレスフルな生活を続けることも出来はしない。

自分の生い立ち(過去のリアル)とハスリングライフ(環境のリアル)を「私小説的」な表現方法に昇華して編み出したSEEDAはそれ自体が画期的なことだったのだけども、さらにその後、ただ街中を散歩するような何気ない生活のひとコマを『街風』に取り入れ、『HEAVEN』では自分が抱えている想いや葛藤(感情のリアル)をエモーショナルなフロウと共に盛り込んだ。「普通の生活」を描いていれば自分を取り巻く環境が安定しようが落ちてしまおうがそこにある「リアル」は大きく変わることは無いし、「自分の感情」を表現することにネタの限界は無い。『街風』や『HEAVEN』に見れるこの変化はSEEDAが「リアルでいつづける」ために模索したとても有効な処方で、だからこそこの2つの作品は『花と雨』と同様に素晴らしいアイデアに満ちた作品だと言える。

鬼一家の『赤落』が面白いのは鬼が"小名浜""甘い思い出"で「自分の身に降りかかった不幸や災い」を劇的に演出してみせた後に、"スタア募集"や"見えない子供見てない大人"では政治や上の世代への痛烈な批判を繰り広げるすごく社会派的な一面が見れるところだろう。

これはまるで政治だとか資本主義社会のせいで、絶え間なく災難が降りかかっているとでも言っているかのようだけども、単に自分の「不幸や災い」だけを表現するのではなく、その不幸や災いが「何のせいで生まれているのか?」まで言及することで、「自分の敵の姿」を明らかにして作品が持つメッセージ力をより強力にしているのだ。

このように「リアルの種類」を整理して、「リアルの源泉」を追うことでその作品やアーティストの特性と、その先に広がる可能性までを発見することができる。その好例が前述のSEEDAとBESの作品なのだけど、SWANKY SWIPEの『Bunks Marmalade』とBESの『Rebuild』はその最後の曲に着目すると、それぞれの作品が持つ構造の理由とBESの人間味の深さ、そしてまた違った「リアルの形」までを炙りだすことが出来る。

『Bunks Marmalade』の"評決のとき"はBESが世話になっていたオジさんが抗争に巻き込まれ、挙句に裁判で極刑をくらってしまったことへの不条理と、社会が「敵」だと放逐したオジさんをフォローすることの出来ない自分の無力さを嘆いた曲だ。この曲にあるのは、自分の手が届かない、自分が介在することができない社会だとかルールだとか人間関係のいざこざ(総称して"バビロン")がもたらした「不幸や災い」で、その敵はやはり自分の目には見えない「バビロン」なのだ。だから『Bunks Marmalade』でBESはゲロを吐きつづけ、自分では最早どうしようもない生活や環境の不条理(環境のリアル)を徹底的に描いて見せた。

しかし、それから2年ほど経った『Rebuild』でBESの描く「リアル」の形はまた変わってしまう。『Rebuild』の日本語訳はずばり「子供との関係を修復する」というもので、このタイトルの意味と最後の曲"On a Sunday"を聴けば「懺悔」や「後悔」という言葉にべったり色塗られたこの作品がいったい何を表現したいのか、BESは何に懺悔をしているのかがわかる。

"On a Sunday"でBESはドラッグにまみれて、金を稼ぎ出すことも出来ないダメな生活しつづけた結果に自分の子供へ与えてしまった不幸や災いに懺悔する。ここでの「不幸や災い」は自分が導いてしまったものに違いなく、その「敵の姿」は自分自身の内面にあるのだ。

だからこそ、『Rebuild』の内容は『Bunks Marmalade』のような「環境のリアル」を描いたものではなく、より自分の内面にフォーカスした「感情のリアル」に傾いたものになっている。身内に降りかかった「不幸や災い」のもとを辿れば、自分自身に行き着いてしまった居心地の悪さが作品全体を覆う。

「どうしようもない自分」が引き起こしてしまった不幸や災いの居心地の悪さは、バビロンが引き起こしたものの比ではなく、『Bunks Marmalade』でバビロンに向けられていた視線は全て自分の内面に注がれる。

『恵まれた環境 仲間とBaby / 止めるぜ言い訳、誰かのせいに / 誰もが正義また誰もが悪魔 (略) 上だの下だの金額の違い / 大人の階段登るそれだけさ (略) 増える理想現実の違い / でも噛み締める納得 明日なら見える』


BESは不幸や災いをバビロンのせいにするのは全てお門違いだと切り捨てる。本当の「リアル」は「環境」ではなく「自分の内面」にあると。「リアル」というものに優劣があるかどうかはわからないけども、BESが指し示すこの「リアルの形」はいまある不良ラップの中でも抜きん出て新しく、その方向性には強い説得力がある。

Friday, October 03, 2008

Anarchy - Dream & Drama & NORIKIYO - OUTLET BLUES





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"My Words"のときにも書いたけども、Anarchyのラッパーとしてのエネルギーの源は「夢と現実」のギャップに生じるストレスにあると思う。それは人知れず地方都市で活動することのストレスが"Stilling, Still Dreaming"を生んだみたいなもので、そのギャップが大きければ大きいほどAnarchyというラッパーの魅力が大きくなっていくのではないか、という考えは今も変わらない。

"Dream & Drama"でここまで巧みにストーリーテリングを練り上げて、自分の「夢と現実(=リアル)」をきちんと落としこめていることにビックリしたのだけども、反面、その端々に見えてくるのは「描いている夢のディテール」で、聴いているこっちがドキドキしてしまうほど自信満々で広げていた"Rob the World"の得体が知れない風呂敷のデカさに比べれば、あまりにも地に足着いた「夢のリアルさ」になんだか興ざめしてしまった。

「ただ夢を追い求めることにはいずれ限界がある」ということにすら自覚的になっているAnarchyの「夢を持て」という言葉は魅惑的というより、寧ろ「その為の努力や代償」のプレッシャーのほうが重くのしかかってくる。

「NORIKIYOのラップは単調で、BLのトラックは平坦で面白味がない」という評価をたった1年で、BLは何かに開き直ったかのような悪趣味で派手派手しいギミックと、聴き手の想像の斜め上をいくようなアイデアで、NORIKIYOはその変則きわまるビートのうえでも見劣りしないくんずほぐれずのラッピンフロウで跳ね返した。

"EXIT"での「迷路のような人生のなかでビッコを引きながら出口を探して前進する」姿にブルースがあるというならば、「BIKKO」というワードや「出口を探して前進する」ような描写がほとんど出てこない"OUTLET BLUES"にはハンデキャップを抱えながらも歩みを止めない男の哀愁というよりは、「ラッパーとしてやっていく他ない」という開き直り感のほうが強く打ち出され、そこにはブルースというより、その開き直りの先にある「本当にこれでやっていけるのか?」というような漠然とした不安が靄のようにかかっていて、曲調と相まる躁鬱っぷりがどうにも落ち着かない。

しかし、その「ラッパーとしてやっていく」という開き直りのもとで、ラップスキルが磨き上げられ、プロダクションが飛躍的に向上したというならば、「リリックの面白味」が「作品の面白味」に変わっていく、「リアル志向」が「作品主義」へ移行していく過程を、NORIKIYOの素の想いそのままに見て取ることのできる貴重な作品として大変興味深く聴きこむことができる。