Monday, November 06, 2006

余作1 Thavius Beck -Thru

余作とは : 音楽好きな人ならば必ず一枚は持っている「音楽として良くも悪くも無いし、音楽史的にも全く重要でない」アルバム。言葉の使い方としては「このアーティストのこの作品は"余作"だろ」という感じ。アーティストのキャリアには全く必要ない作品を指す。
「アンダーレイテッド」どころか、この先も別段と評価もされずに歴史に埋もれ、押入れの段ボール箱の片隅に眠り続けるであろう余分な作品、きっとそのアーティストも記憶と記録から抹消したがっている作品をフィーチャーしていく企画。「音楽として良くも悪くも無いし、音楽史的にも全く重要でない」けど、思い入れだけは少しある作品へレビューを贈り、その存在を認めていく。






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アンダーグラウンドの住人/レーベルはMushにもかかわらず、myspaceのinfluencesのところには、Dizzee Racal、Wiley、Timbaland、DJ Paul and Juicy J(あとは無難にCANとかPrimusとか)と、お前はTTCか! というような名が連ねられているThaviusだけれど、TTCがこれらのアーティストが鳴らす音のポップなところやイノヴェイティブなところに感化されるのに対し、この人はこれらのギャングスタ調の音から一般受けしない暗さと、玄人受けしないチープさナスティーさを掬い取る点において趣向が異なる。

Mushのアーティストらしく実験的であることが目的化していたThaviusは、もともとはアブストラクトやエレクトロニカからはじまり、フリージャズのエッセンスを借りることでヒップホップの枠をすこし超えるいわゆるアブストラクトミュージシャンの王道コースを歩んでいたのだけれど、あるときからその実験精神が暴走しだし、「この世の地平にない孤高の音を目指すことは、誰からも好かれない暗黒な音を作り出すことと同義だ」とでも言うように、ボトムの上品さを切り崩してギャングスタラップのブルータルさを取り入れにかかる。そこに生まれたのは確かにワンアンドオンリーな孤高の音ではあるけれど、エレクトロニカというよりはシンフォニックブラックメタルのような薄っぺらく大仰なシンセが奔放に飛び交う中、支えるリズムは3-6マナーのギャングスタラップというこんなもの誰が喜ぶんだ? という代物であった。

Thaviusの実験精神が狂いはじめたころと時を同じくしてLab Wasteの相方Subtitleは、
「どうやったらシュトックハウゼンとダブリーをひとつの音楽に融合できるか? する必要なんてないんだ。だってダブリーはすでにシュトックハウゼンなんだから」
とドイツのパンクやトルコのプログレなど世界中のあらゆる音楽を聴いた結果、すべての音楽は同じであるという謎の悟りを開いていた。
そんな訳の判らない二人が衝突する暗黒ユニットLab Wasteのほうがひとりでやるときより目的すら見えないほどに混沌としていてるのは当然といえば当然で、ケイオスを形成するピースが足りず、Lab Wasteを格段にキャッチーにオーガナイズしたような内容になってしまった本作は日に日にその余作感が増していくことだろう。

[淀川マトン]

Friday, July 07, 2006

It's Halftime

□ 2006年上半期11



Spank Rock
"YoYoYoYo"

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Muallem
"Frankie Splits"

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Five Deez
"Kommunicator"

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Gnarls Barkley
"St. Elsewhere"

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Busta Rhymes
"The Big Bang"

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The Team
"World Premiere"

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Keak Da Sneak
"Contact Sport"

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JME
"Poomplex"

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Nobody & Mystic Chords of Memory
"Tree Colored See"

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Various Artists
"Hue and Laugh and Cry"

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Seeda and DJ Isso
"Concrete Green"

Tuesday, July 04, 2006

MC Super Megane

Thursday, May 11, 2006

Wiley - Da 2nd Phaze






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シ ングル単位ではマスには一切受けないような荒ぶり尖った曲が多 いのに、アルバムを製作すると途端にマスにもコアにも受けず目も当てられないような駄作を世に送り出す不思議のシーンのグライム。だからこそ、商業性に譲 歩したくないとの理由からメジャーレーベル3社からのオファーも断り、コアなグライムを広めるため自身のレーベルから世界配給を伺う意気込みまで見せてい たWileyの2ndアルバムには期待せざるを得なかったのだが、いざ発売してみると、
自身のレーベル → 元部下のレーベル(自分もわずかに参加)
世界配給 → 一つのオンラインショップの独占販売(今のところ)
新曲多数 → 過去に発表した曲の寄せ集め
と いうありえないレベルの規模縮小に大鉈を振るう相変わらずの不思議っぷりで戸惑うばかり。アルバムの最後に3曲目でディスっているMore Fire Crewのクラシック"Oi"を配置する自由すぎるパッケージングといい("The Blueprint"のラストがNasの"Half Time"みたいな)、曲よりもシーンそのものがケイオス。

若手のあいだで「あたればでかく、はずすと悲惨なものになる」という己のパー ソナリティーに完璧にマッチする玉石混合のミックスステープアルバムが氾濫す るなか、一定のプロップスを得たシングルばかりを集めたアルバムにしたのは、堂に入ったWileyのパーソナリティーには見合っているが、その高品質な安 定性と引き換えにスリリングさがほとんどないのが難点か。貫禄ある作品ではあるが、ぶっとんだ発想は少ないがために、西のハイフィー、東のグライムという ような印象 が頭をかすめる曲がひしめく中、唯一グライムのオリジナリティーと革新性をすべて馬鹿さにのみ注ぎ込んだかのような"Eski Boy"だけは、あたったときの若手の曲に太刀打ちできる
得体の知れなさと沸 点の高さをあわせもつベテランの妙技。Roll Deepのアルバムを通過したWileyにしか作りえない馬鹿さ全開のこの曲は、どこを切り取ってもポップでありながら商業性とは完全に切り離されてい て、発表時に「コアなグライムを広めたい」と似つかわない意気込みをみせていたのも納得できる間口の広さがある。何かの間違いで一発屋になる可能性がなくはないくらいには。

Saturday, May 06, 2006

Nitro Microphone Underground

Sunday, April 30, 2006

MC Noriaki

Friday, April 28, 2006

Stiff Ninja Time!


Sunday, April 23, 2006

Keak Da Sneak - Contact Sport






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異様にアルバムの数が多いと思ったら、本人のふところにきちんと金が入るアルバムが実は3枚くらいしかないらしく("Sneakacydal", "Hi-Tek", "Copium")、"Kunta Kinte(仮)"なる正式なアルバムが用意されているさなか、同名の"Kunta Kinte"(通称"Fake Kunta Kinte")がいずこかからリリースされていたり、今年に入ってからも既に3枚もそれぞれ別のレーベルから収録曲が過去の音源とかぶりまくりのCDが出ている 中国人ミュージシャンのごとき渦中にあるKeak Da Sneak。その3枚の中でも特にKeak本人がmyspace上で発売を差し止めたかったが叶わなかったと言い、直々に「買うな!」と呼びかけている曰 くつきのアルバムがこれ。

「"Super Hyphy"がヒットしたし、全曲"Super Hyphy"みたいにしたら結構当たるんじゃねえ?」というようなことをリリース元が企んだかどうかは定かではないが、本作は"Super Hyphy"の変調でしかないような曲が山もなく谷もなく平坦なまま延々と反復する。全曲"Super Hyphy"の変調でしかないので、その異形のフロウから放たれる隙間だらけのKeakのラップは、1小節目だろうが15小節目だろうが、別の曲の26小 節目だろうが、フック以外はどこを抜き取っても同じようにしか聴こえないGKマーヤンかBig-Zのごとき様相。きっと、ランダムに適当な曲からカット &ペーストしてきても意味が通じなくなるくらいで音楽的には何の影響もないだろう。そのKeakを迎え撃つは、やはり"Super Hyphy"的な隙間だらけのワンループかツーループ程度のシンセでそっけなく作られたトラック郡。みだりに自己主張したりせず装飾的であることも拒絶 し、「隙間だらけのラップに一番合うのは隙間だらけのトラックだ」とばかりにKeakのラップを引き立てる役割しか果たさず、気づけ ば、Keakの意思とは無関係に金儲けの道具としてリリースされたアルバムにもかかわらず、ハイフィームーヴメントに浮かれる金の匂いなどは なく、腰を落ち着けて隙間を隙間として放置することを美学とするようなストイックさと、同じようなループが延々と反復するヒップホップにおける究極のミニ マリズム的世界観のみが心に残る。