Tuesday, November 23, 2010

Waka Flocka - Flockaveli & Kanye West - My Beautiful Dark Twisted Fantasy



あまりに退廃的で狂った世界をつくりあげるLex Lugerのビートと、荒削りという以上にその荒々しさがオーラとなって降りてきているWaka Flockaのラップ。そのコンビネーションは、"まったく中身がない"暴力賛歌をベースに進行しながら、どうしようもないゲットーで生きるどうしようもない若者がどんづまりで拳銃を振り上げなら行進する姿そのものを照らし出す。

アルバム中、「唯一テーマがある」と言われる"Fuck This Industry"ではWakaが銃撃に倒れて病院に運ばれたときにも一切関知しようとしなかった音楽産業を徹底的にこき下ろしているし、質も内容もいままでのミックステープとほとんど変わらない。そんなレーベル側からまったくコントロールを受けないままリリースされた『Flockaveli』には、 Wakaが溜め込んだフラストレーションだけがパッケージングされているので、ミックステープの持つ"猥雑さ"に魅力を感じるリスナーにとって、これほど生々しく心に響いてくる商業作品は他に見当たらないだろう。

しかし、メッセージ性の欠片もない『Flockaveli』に限らず、アンビエントから浜崎あゆみまでをジャックしてしまうLil BのBasedを聴いていても、ウィッチハウスとも微妙にシンクロするOdd Futureなどのローファイムーブメントを見ていても、もはや「ヒップホップとは何か?」という命題に取り組む姿勢には何の意味も無いように思えてしまう。ヒップホップの様式や美学に捕われている人間はいないんじゃないかと錯覚してしまうほど、若手のアーティストは皆が皆、DIYの精神を持って自由な解釈でヒップホップを作るようになった。

2年前の『808s And Heartbreak』はチープなサウンドと歌唱を軸に添えながら、ルサンチマンを溜め込んで自己の内面に没入していく、それまでのラップミュージックの枠組みから外れたとても先鋭的な作品だった。「内省的なイメージで売ろうとする黒人アーティストはポップフィールドではいなかった」という指摘も当時あったように、『808s And Heartbreak』はDrakeのような黒人ラッパーがナーヴァスな世界を展開しながらもヒットチャートにランクインする時代の先駆けとなった作品とも言えるし、それこそ、このチープな音と歌で彩られたイビツなヒップホップが自由な発想のもと作られるその後のヒップホップの形を大きく変えたのは明白だ。

Kanye Westの『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』は『808s And Heartbreak』の延長に位置するアーティスティックな作品で、製作に3億円かかったというスケールも含め全く引けを取らない。膨大な量のサンプリングと、元ネタを華やかに演出するオーケストラの迫力だけでも充分物凄いが、クラップ音だけのためにハンドクラップ奏者を4名も雇い入れ、RihannaやAlicia Keys、The-Dreamといった大物シンガー達にコーラスだけさせてゲストクレジットも残さないという起用には「無駄遣い」という言葉までよぎる人も多いだろう。しかも、そこまで金をかけて奏でられる音にはチープなコーティングや質の悪い低音がのっけられ、ひずんだ音像になるようにミックスされていて、インディペンデントミュージックの持つ"チープ感"とシンクロした現時代性までもを獲得している。ここで凄いのは、DIYでつくられるヒップホップとは真逆に、金と人材と手間をかけまくることでつくりあげた"チープなヒップホップ"が、インディペンデントミュージックの持つイビツさをより立体的に浮かび上がらせているところだ。

意図的であるにしろないにしろ、『808s And Heartbreak』が「ヒップホップとは何か?」という問いを突きつけたからこそ、いまの新たな表現――ポップフィールドで見かけるアーティスティックで内省的なヒップホップやインディペンデントシーンに広がるプリミティブなヒップホップ――が出来上がった。『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』はチープで90年回帰的な"いまのヒップホップの姿"を屈折させることで「ヒップホップとは何か?」を改めて問いかける。もはやヒップホップの様式や美学に捕われることはナンセンスに思えてしまうこんな時代でも「これからの時代のヒップホップはどうあるべきものなのか?」を考えさせ、さらに"次の時代の扉"を開こうとする Kanye Westのビジョンと貪欲さには感動を覚えずにいられない。