Saturday, May 05, 2012

ヒップホップの"地域性"の話 ~Chief Keefと田我流とUCK Japanese Gangstaと~

■Chief Keef "I Don't Like" & "Bang"

Photobucket

download : "Back from the Dead", "Bang Mixtape"

同郷のよしみかKanye Westが"I Don't Like"をリミックスしたということで、一般的な認知度も高くなってきた2012年ベストハイプのChief Keef。とはいっても、Chief KeefはすでにYouTubeの楽曲が数ヶ月で100万再生を軽く超えるくらいのプロップスをティーンエイジャーを中心に獲得しているので、Kanyeにしてみれば単なるフックアップ以上の"見返り"も見込んでいそうな感じではある。

その"I Don't Like"が収録されている2ndミックステープ『Back From The Dead』だけでなく、1stミックステープ『Bang』からChief Keefはシカゴのティーンエイジャーから圧倒的な支持を受けていた。『Bang』のほとんどのビートを手がけたDJ KENNは山形県出身の日本人ビートメイカーで、2005年にニューヨークへ渡った後に、シカゴに流れ着きそこでChief Keefのオジさんに拾われた縁でChief Keefにビートを提供するようになったという逸話があり、しかも彼が手がけた楽曲のひとつ"Bang"が昨年に公開されてからこれまでに130万再生されてアメリカのキッズ達から注目をうけているという話は、ヒップホップでアメリカ人を納得させる日本のビートメイカーが出てきたという部分で日本のリスナーにとっても非常に興味をそそられるものに違いない。


"I Don't Like"


"Bang"

ただ、そのDJ KENNのビートも、『Back From The Dead』のYoung Chopのビートも巷にあふれかえる"Lex Lugerコピーのビート"と安易にくくってしまうことができるところが、彼らの作風を取り立てて評価するのが難しい部分でもある。Lex Lugerコピーの延長にある作風であればGunplayやFat TrelのほうがChief Keefより優れているという意見も多いだろうし、果たして、Chief KeefはWaka Flockaのようにオリジナルな存在なのか?Odd FutureやA$AP Rockyのように大金を獲得できるのか?

しかもビートだけの話でなく、Chief Keefのラップも単調なギャング物なので、なかなかにChief Keefというラッパーの"秀でた部分"を見つけ出すことは難しい。しかし、それでもあえて言えば彼のクリエイトする楽曲の"ミニマルな部分"にあるのではないかと思う。Lex Lugerコピーのビートの中にも見え隠れするシカゴフットワークの断片と、Lil DurkやKing Louieといった周辺の端整なラッパーと比較してみても、ひときわ枯れて平坦で単調に推移していくラップが、どの曲でも同じように何度も何度も繰り返されることで、高い中毒性を生み出す。


RP Boo "Off Da Hook"


DJ Rashad "Reverb"

ミニマルなビートとラップが中毒性の高い世界を作り出すというところで、やはりWaka Flockaを彷彿とさせる存在ではあるけども、Rich KidzやTravis PorterといったATLの10代のラッパーと比較すると、Chief Keefの殺伐とした空気感は独特だ。この若いギャングスタラッパーが持つ閉塞感はシカゴハウスやフットワーク、The OPUSやRubber Roomのソレとも非常に似通っているけども、果たしてシカゴという地域が醸し出すものなのだろうか…。


Rubbe Room "Acid"


The Opus "Road Seldom Traveled"

■ 田我流 『B級映画のように2』


ここで、話を日本のヒップホップに移す。

2011年に公開され、一部の映画ファンからの評価も高かった映画『サウダーヂ』(監督:富田克也)に準主役として登場していた田我流の2ndアルバムがこの4月にリリースされた。『CDジャーナル』の2012年5月号インタビューでは「謎を多くしているんですよ。変なスキット入れたり。その謎について考えてもらいたい」ということらしく、このアルバムの『B級映画のように2』のタイトル名にも意味はあるが、それはリスナーの想像にまかせているようだ。ただ、『サウダーヂ』で富田克也監督との仕事を通して「今までと曲の書き方が180度くらい変わ」ったという発言や、そのアルバムの題名を見ただけでも、映画がこの作品に落とした影響の大きさを窺い知れることができるし、実際に『サウダーヂ』を観たリスナーにしてみると、彼が"ロンリー"や"Resurrection"で見せる鬱屈は、そのまま天野猛(田我流の役名)が甲府のシャッター街の生活のなかで抱えているもののように、より視覚的なリアリティをもって聴くことができるはずだ。


"Resurrection"

"STRAIGHT OUTTA 138"でのECDとの共演曲などで、この作品が3.11以降の世界に住む人間が抱えた怒りも表現しているところもポイントだ。Amebreakのインタビューでは、「"個"と"社会"、"自分"と"世間"って同じだ」という発言もあるけども、田我流本人が抱える鬱屈が、3.11以降の国家や政治に対する不満や怒りとあわさって、渾然としたより生々しく聴かれるものになっている。パーソナルな感情が"社会の持つ問題"にフォーカスされていくという構造を見ても、2012年ならではの作品と言える。
(リリック面では、"ハッピーライフ"で描かれる「普通の人」は、自分たちの隣で生活している人たちであり、3.11以降の問題をつくってきている<怒りの対象にもなりうる>人たちでもあるということを露出させていて面白かったのだけど、話がずれるので割愛する)

ただ、『B級映画のように2』は地方都市に住む田我流だからこそ作ることのできた"地方のヒップホップアルバム"ではあるに違いないが、その楽曲に甲府の"地域性"が根付いているかという点に関して言うと、かなり疑わしい。『B級映画のように2』で描かれるものは、これまで書いてきたとおり「地方で活動することに対する鬱屈」や「社会への不満や怒り」だ。その魅力はあくまで田我流のパーソナルな部分にあって、甲府という土地自体はこの作品では他の地方都市にも代替可能なものだろう。

さて、では『B級映画のように2』以前ではどうだったか?


"墓場のDigger"

"ゆれる"

■ Mr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangsta 『SAMURAI SPIRITS』


日本のヒップホップを対象に、あらゆるインターネット上の音源をアーカイブするサイト『JPRAP.com』が発見したMr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangstaの音源に触れたときは驚いた。元々、2011年2月にYouTubeに公開された悪羅悪羅系をレペゼンする楽曲も、トランス系のビートのうえでの「悪羅悪羅」連呼というこれまでに聴いたことのない異形さを持ったストレートな表現に衝撃を受けていたのだけど(過去には悪羅悪羅系として見られるラッパーが於菟也がいたけどそういえば彼もUCKと同じく埼玉で活動しているラッパーだった)、3.11を経てつくられた2ndアルバム『SAMURAI SPIRITS』に収録されている曲は更にその方向にブラッシュアップかけたような内容になっていた。


Mr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangsta "Territory ~悪羅悪羅~"



於菟也 "forgive me"

旧車會がバイクの爆音をなびかせる。UCKがトランス系ビートにラップをのせて3.11に亡くなった方への追悼をうたう!ダメージをうけた社会に対するメッセージをささげる!Stop The 原発!!

「3.11に大事な人を亡くした方々/
なかなか立ち直れなくて当然/
あの日以降 ただ呆然と月日は過ぎ行く/
いくら泣きじゃくっても帰らないんだ.../
俺らが叫ばないか?/心の被災者を忘れてないか?」("For JAPAN")

「勤め人が仕事頑張れば 金を使えて経済は潤う/
個人や法人が潤う イコール 金が動く/
金が動けば国は税収入が増え 凄く立派な社会貢献/
テメー事を頑張るのも復興 OK!!」("For JAPAN")



"For JAPAN"


"旧車會 ~宮城魂~"

3.11というキーワードを切り出すと↑の楽曲が特徴的なのだが、リリックも全て直球なので、1stアルバム『MESSAGE』から『SAMURAI SPIRITS』を通して聴くとUCKの人となりがとてもよくわかる。1度目の結婚がDV原因で破局したこと、愛情が強すぎて相手を拘束するヘキがあること、地元の先輩に対してものすごく恩義を感じていること、「Forever」と彫ったタトゥーの意味……。(ちなみに、UCK青少年育成を目的としたNPO法人まで立ち上げている。)

少し話が変わるけども、『Rev3.11』から発刊した電子雑誌『REV MAG vol.1』で、靴底というブロガーに"とある地方での音楽シーンのお話"という記事を寄稿いただいた。この記事では「日本の地方で形作られたヒップホップの姿」が実話/フィクションを織り交ぜながら描かれているが、この記事の話で面白いのは、地方の"先輩"が興味を持っているのはカーオーディオでハマる『スーパーユーロビート』のような音楽であって、CDショップでもクラブでもライブハウスでも、勿論PCで聴かれるような音楽でもないというところだ。車の中こそが"先輩"たちの現場だというところに説得力がある。思い返してみると、私が学生のときにも地元の友達から借り出されて夜中ずっとドライブしているときにはカーステレオからユーロビートが鳴り響いていた。

おそらくこの記事を書かれたときに靴底氏も意識していたと思われるが、この集団が作り上げたヒップホップの形はこれまで紹介してきたUCKの作り出しているものと近い。勿論それは地方で活動している人間だからこそ作り上げることのできるヒップホップの形に違いないけども、彼らの音楽に影響を与えているのは彼らが生活する地域のなか、もっと言ってしまえば彼らが活動する集団やチームのなかに育まれている"カルチャー"だ。

その"カルチャー"は人にとっては、ヒップホップカルチャーであり、日本語ラップカルチャーであり、クラブカルチャーであり、ドラッグカルチャーであり、車文化であり、ゲーム文化であり、アニメ文化だったりする。過去に出会った真新しい(と思えた)音楽を思い返してみれば、それはそれまで自分が知らなかったカルチャーのなかで育まれていたものだったという例が確かにある。カルチャーがローカルな地域のなかで様々に変換され、翻訳/誤訳された果ての表現――それこそを私たちは音楽の持つ"地域性"と呼んでいるのだろう。