Saturday, March 29, 2008

Neon Neon - Stainless Style






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前衛的なことをやるのはもうダサい。「今はダサいことをやってる奴がカッコいいんだよ」というアクロバティックな価値観の転覆から現在のムードが紡がれて5年は経ち、いまではWileyが80'sのダサさだけを掬い取るばかりかダンスまでもが革命的にダサい"The Rolex Sweep"を流行らせようと企み、Crime MobのPrincessが"Pretty Rave Girl"の上でラップするなどロリコンコミュニティ内で各々が切磋琢磨し対象年齢を下げ合うかのようにダサさを改新し続けている。そんなチャーミングなコミュニティに「俺はショタもいけるけど?」と殴りこみに来たのがBoom BipとSuper Furry AnimalsのフロントマンによるNeon Neonである。"Stainless Style"は、現在のディストピアが遂にはAnticon直近をも射程圏内に捉えたメルクマールだ。

Boom Bipは2000年にDose Oneと"Circle"を作り、2002年にエレクトロニカに傾倒したソロアルバムを作っていることから判るようにいつだって流行りから半テンポ遅い。遅いかわりに、全体を俯瞰して的確に求められているものを見抜いてその美麗さと醜悪さをえぐり出す。このアルバムで彼がやっていることは、5年前にやっていたことと真逆なように見えるけど、実のところ「キラキラして大味でダサい」という点では全く同質の不穏な空気を醸しだす。この普通じゃない空気を偏愛する性質こそが「Boom Bip=アブノーマル・ショタ野郎」たる所以だ。

80年代のシンセサイズされたポップミュージックを今の視点から再構築したChromeoを手本としながらも、Chromeoの命綱となるヒップな黒人音楽の基盤を削ぎ落とすことで、さらなるダサさの臨界点を目指すところからNeon Neonははじまる。80年代の音楽の中でもただダサいだけの黒歴史のカケラを広い集め、Cut CopyやHot Chipみたいなディスコロック、Italians Do It BetterからCool Kidsのような勢力まで、根こそぎクールさを剥いで大仰なダサさだけを加味していく。そして、世の大勢がまだ心の準備ができていない90年代ブリットポップのダサさまでもをGruff Rhysのメロディーによって武装することで決定的に格の違いを見せ付ける。

思い返せば、00年前後のアンダーグラウンドヒップホップはダサさを削いで、スノビズムのカケラを繋ぎ合わせて出来ていたもので、当時はそれが「前衛的だ」と評価されていた時代だった。それこそHoodなんかがAnticonの力を頼って前衛性を獲得しにいったところから21世紀がはじまったはずなのに、気付けばヒップホップの人が前衛性を捨ててダサさを得るためにロックに擦り寄るようになったことには隔世の感を拭えない。

Monday, March 10, 2008

TKC - 百姓一揆






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多くのラッパーやトラックメイカーをフックアップしてシーンに多大な貢献をし、自身のブティック運営のみならず、NYの一街区を買い取ってレジャー施設をつくり、世界一強い女をプライベートでメロメロにしているJay-Z元社長は、「勝ち上がり」を絶対的な価値とするヒップホップの"象徴"といって過言ではない。もう私の頭のなかでは「Jay-Z=HIP HOP」の純然たる公式が刷り込まれているので、作品で彼のありがたい声を聴けただけでも涙が自然に流れてくる。「彼のラップが"上手い"から頂点にのぼりつめた」のか、「頂点にいるから彼のラップが"上手く"聴こえる」のか、これは目下最大の考察テーマだ。

07年の日本語ラップ作品は総じてレベルが高かったとは思うけども、「ナンパしたけど他の男に取られちゃったよ~」とか、「ウィード吸いたいけど手元に無いな~」とか、ボンクラな生活の中にたえず転がっているモヤモヤをストレートに作品に落とし込んだTKCの"百姓一揆"こそが一番のフェイバリットだった。

"百姓一揆"はとても奥が深い。ナンパネタやウィードネタのモヤモヤも根本はそうなんだけども、「人間なんて生きているだけで地球の害だ」という辛辣な極論をふりかざす環境問題のテーマや、「自分が生き残るためにはどうしても他人を蹴落とさなければいけないんだ」という熾烈な競争社会にちなんだテーマも含めて、TKCがこの作品で表現しようとしているのは「この世の矛盾」に他ならない。誰かがおいしい思いをしている陰には誰かが犠牲になっている、ということを色んな視点から飄々と描く。

それこそ「ヒップホップ」という枠組みのなかにいる以上、「勝ち上がりの欲望」を抑えこむのは難しいことだけど、TKCが"百姓一揆"で抱えている「矛盾」の根本はまさにソコにあって、「誰かを犠牲にしてまで本当に勝ち上がりたいのか?」という自問自答が作品の中で延々と繰り返され、答えの出ない問いかけの先で鬱にまで陥っていく。

「彼が生きると俺が死ぬると、俺が生きるには彼が死ぬるの二者択一。
 "目指せ!博愛精神"に矛盾が走る。"正しい"は虚しい。悲しい話ジャスタウェイ。」("Another Tension")

「テンパってるとか言われるかもな。『限界です』って言ってもムダだろ。
 待ってくれねぇな時間だけじゃねえ、友情、愛情、当然じゃねぇか。
 わかっているのよ、わかっちゃいるのと裏腹、心が病気になるの。
 できれば闇、心の病みが晴れない明日ならこの際いらねー」("U2")

結局、TKCは「勝ち負け」をベースにしたヒップホップ的な競争社会で私利私欲のために闘って勝ち上がっていくことよりかは、みんなが幸せに過ごせるような環境でのんびり好きなことだけをやっていたい人なんだろう。しかし、現実には「のんびり好きなことだけをやる」ためには先ず勝ち上がってそういう環境を作らなければならない。こんな「欲望の矛盾」をはらすかのように彼が描き上げる「ユートピア」の絵は人によっては甘ったるく見えるかもしれないけども、私には切実な想いが込められているように見えてならないのだ。

「必要以上の争いはなく、全ての者に平等。平成はやっと元年を迎えそう。
 満ち足りているなら欲しない、欲しないなら取り合うことはない。
 寧ろあげましょうか? 何が足りない?一杯あるから持って行きなさい。
 君も一杯に持って行き、足りない誰かにあげなさい。
 それを条件としているなら限りなど最早いらない。ここはユートピア。」("Utopia")

"競争"というどうしようもないプレッシャーにさい悩まされるTKCは、それでもその自問自答の果てに"協調"という一つの対抗手段を見出す。しかし、その"協調"の先にも"競争"は生まれてしまうし、"競争"があるからこそ生まれる"協調"もある。こんな「矛盾」をも"百姓一揆"は見事に描き出している。