Friday, May 15, 2009

S.L.A.C.K. - My Space






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ほとんど全てのUSサウスには意味なんてものは無い。だけども、「俺にはハスリングで稼いだ金がうなるほどある。俺のジュエリーや車の輝きはオマエらのとは格が違う。勿論、女にもモテる」というようなリア充自慢を繰り広げる彼らの姿には華がある。彼らにとってはまさにその自慢の中身こそが事実であって、リアルな表現でもあるんだろう。

MINTのmyspaceフリーダウンロードMIXで聴ける新曲、"おまんちょ"はただそのワードを言いたいだけだ。なんて低俗で、中身が無い曲なんだろう。つづけざまに"なんもない"という曲を聴いたら、その名のとおり「金も無い。仕事も無い。女もいない」という主張をしているだけだった。やろうとしていることや軽薄たらんとするその姿勢こそUSのイケてるラッパー達とほとんど同じなのに、言っていることがまったく真反対の「リアル」な内容になっていて、そんなMINT達が「日本産サウス」の方向性を一番正確に指し示しているのかと思うとちょっと目頭が熱くなってしまった。

『ヤンキー文化論序説』で宮台真司は「いまの若い子たちは"自分はこうなりたい"という願望が持てなくなってきている」とようなことを書いていた。つまり、夢を持ってそこに向かっていこうとする姿勢だったり、ダメな現状を打破してより良い生活を送ろうとするような欲求自体が無くなってきているということらしく、なるほど今の時代の「リアルな姿」とは夢を持てなくても淡々と生きている姿なのかもしれない、と何か腑に落ちるものがあった。

S.L.A.C.K.は"My Space"でそこら辺に転がっている日常の風景をラップするが、それは誰もが見たり感じたりするようなありきたりなものばかりで、そこに特別な意味は何もない。スロウなビートのうえでダラダラと気だるくラップするルーズなスタイルとその無意味なリリックはまさしく日本産サウスの方向にあるものだろう。しかし、そんな無意味で、無気力なS.L.A.C.K.のラップにすごく強くリアルな説得力を見いだしてしまうことがある。

「NO SHINE I don't cry'n / 陸海空 Like 気体 / NO BUZY NO MONEY これから先もきっと」("SMG")

「普通の生活して楽しくできればいいと思うんだよ / 余裕の生活なら楽しいことも増えると思うけど」("Think So")

「口からでまかせ 楽しければそれでいいさ / 金無いなら また部屋のスミ転がるさ」("Re-lacks")


S.L.A.C.K.は夢を全く語らない。日常のあるがままを受け入れ、やれることだけやって楽しんでいけばいいという割り切りの中で生きていて、そんな姿を当然のようにラップしている。だから、彼のラップには地方のラッパーが持つような「ドラマ性」は欠片も無いし、不良ラップが持っているような「エモさ」も微塵も無い。彼が描く夢や願望は常に半径10mの中にある。

だけど、一見ドライにみえる彼の体験やとめどない思いつきは、何よりもリアルだ。きっと、誰しもがS.L.A.C.K.と同じように「どうでもいい日常」に過度な期待を持たず、それを右へ左へよけ、適当にさばきながら生きている。ドラマも、夢もない日常を淡々と生き続けている。宮台真司はそれが何よりもタフだと書いていた。

いまや「日常」は、夢や願望が地べたに落ちて渇ききってしまった世界だ。だからこそ、ドライに日常の風景や思いつきを延々と綴るS.L.A.C.K.のリリックが何より「リアル」に、そんな冷めた視線と気だるいスタイルが何より「タフ」に見えるのではないかと思うのだ。


「情報操作 見たこともねぇリアル 信じる根拠そんなのは無いな / 情報操作 教育イメージ 信じる根拠そんなのは無いな / 昨日カッと思いついたもの それがもしくは現実かも / 情報操作 見たこともねぇリアル 信じる根拠そんなのは無いな」("S.H.O.C.K")