Thursday, May 29, 2008

微熱メモ vol.7

本ブログのBRON-K "奇妙頂来相模富士"のレビューに対するアンサー(と思われる)レビューがとても良い内容だった。

このアルバムを単に「懐古趣味的なもの」としてではなく、「自分の"現在"を見つめなおすもの」として捉え直し、一つの曲("何ひとつうしなわず")の受け止め方次第で作品そのものの印象がガラリと変わってしまうことを指摘している。この「"過去"を見つめている」のではなく、「"自分の将来"を見据えようとしている」という見方は私が書いた文章よりも全然ポジティブなものなので、私自身もどちらかといえばこちらの見方のほうを支持したい。

しかし、「"将来"を見据えている」のではなく、「"将来"を見据えようとしている」というところがこの作品、ひいてはSDPの面々のアティテュードのポイントだろう。NORIKIYOにしても、TKCにしても、このBRON-Kにしても、「現在の環境」に翻弄されるだけされて結局は「将来への道筋」を見つけることをできていない。彼らのアティテュードがいかにポジティブなものであっても、これらの作品を聴くことはその作品に共感する人たちにとって「人生の苦しさ」を再確認するマゾ行為なのには相違無い。

Sunday, May 11, 2008

Wednesday, May 07, 2008

BRON-K - 奇妙頂来相模富士






listen here

『(桜坂洋の"All You Need Is Kill"と、麻枝准の"ONE"は)なにかを捨てないと決してなにも得ることができない、そのような喪失の感覚を主題として抱えている。』

『(舞城王太郎の"九十九十九"を参照して)二人目の九十九十九はゲームの中に止まることを選ぶ。  (略) 「一度愛して手に入れたものを自意識のために捨てるのは愚か者」だと考える。』 (東浩紀 "ゲーム的リアリズムの誕生"より抜粋)

「成長する」ということは、「選択する」ということ。「選択する」ということは「喪失する」ということ。こういう主題を抱えるエンタメってわりと多いけども、ある種のセンチメンタリズムがつきまとうこの主題がエンタメ界隈に多いのは、それだけサブカル/ヲタ野郎がこの手のテーマに感じ入り易く、要は「繊細」だからだろうと勝手に考えている。別に「成長」にまつわる青くさい話をこの場で語るつもりはさらさら無いのだけども、「何かを失ってでも、前に進まなきゃいけないのか?」というこの「選択」が、最近の日本語ラップのテーマとしても浸透してきていて、それがいまの日本語ラップに「繊細さ」をもたらしているのではないかと考え付いたので、BRON-Kの"奇妙頂来相模富士"のレビューとしてそのとっかかりを書いてみる。

-------------------------

NORIKIYOの1STアルバム"EXIT"はその名のとおり、迷路のような人生のなかでNORIKIYOが「出口」を探しつづける過程を綴った作品だった。前に進むための分岐点すら見つけられずにいるなかでも「我が道」を選択しようとするNORIKIYOのポジティブな姿勢が心に残る作品で、彼は路頭に迷いながらも「次のドア」を見つけてアルバムが終わる。

『あきらめる前にまたペンを走らす 手段は選ばず いや選べねぇ (略)
 親方も嫌がる障害じゃリーガルで何できる?ってRAPを杖に立つ
 夢と反比例 減った紙切れ 蹴っ飛ばす未練 何処が分岐点』 ("RAIN" NORIKIYO)

『此処から抜け出すのはいつになる? ポリの赤灯に手が汗ばむ 安らぐ場所は何処にあるんだ? (略)
 アスファルトに吐く唾がシミになる 何処に向かう? それでも地球はまわる』 ("2 FACE" NORIKIYO)

『よぉ開けなよ次のドア 目前さ明日じゃねぇだよ 今日じゃあね
 時間だよもう行くよ どこ?って知らねぇんだが 向こうの方? (略)
 未だハンチクな半端小僧は しぶとくこの街を這って生きる
 大丈夫俺たちならきっといける』 ("NEXT" NORIKIYO)


そして「選択」には「喪失」が付き物であるが故に、NORIKIYOは「何かが欲しければ、何かを捨て」なければならないことを自覚していて、あらゆる場面でそのことをラップしていた。SDPクルーの他の作品を聴けばよくわかるのだけど、例えばTKCなんかはこの類の「選択」を目の前にして頭を悩ませてフリーズしていたわけで、この「選択」を目の前にしてなお「前に進もうとする姿勢」こそがNORIKIYOのラッパーとしての特徴と言える。


『ホテル街、古びたネオン、たんぼの焼け跡、橋の上はにかむ中坊の娼婦
 コンクリート東京サバンナ、旅行けば、道はスクランブル』 ("WORLD GO ROUND" BRON-K)

『Rollin' down 調整地区ストリート トタンに沈む赤錆の太陽
 月は雲間に見え隠れ 淡く足元を照らす 時は川の流れように
 いつまでも Bas and good 湛え 流れ 大海へそそぐ』 ("大海へそそぐ" BRON-K)


BRON-Kの"奇妙頂来相模富士"の中には、80年代的な空気に覆われた郊外の団地が奇妙な形にデフォルメされて、建ちならぶ。団地の斜に相模富士が光化学スモッグに覆われて聳え立ち、相模リバーがトタン屋根を縫いながら流れるこの情景は、きっとその時代に生きた人であれば誰でも目の裏に映るようなものに違いなく、ここで描かれる「相模シティ」はさながら20代後半~30代前半に向けての「20世紀博」(@オトナ帝国の逆襲)や「夕日町三丁目」(@三丁目の夕日)のようだ。

「失ってでも前に進もう」とするNORIKIYOや、「誰かを蹴落としてまで進みたくない」というTKCと比較して、BRON-Kの特徴は「喪失したもの」を言葉の力で再現してみせる姿勢にあると考えてみる。この懐古趣味的な世界を緻密に構築する姿勢を、「喪失の恐怖」または「成長への恐怖」の裏返しとしてみてみれば、「何かを失ってでも、前に進まなきゃいけないのか?」という問いへの子供じみた回答もすんなり胸に落ちてくる。「現在~過去への執着」と「選択(成長)へのためらい」がお互いに絡み合って、この曲("何ひとつうしなわず")をひねりだし、作品内のいたるところで奇妙で懐かしい「相模シティ」を産み落としているように見えてくるのだ。


『Baby Thank you so much 何ひとつうしなわず
 すべて手に入れたいと思うことはわがままかい?
 Homie Thank you so much 誰ひとり欠けず
 いい景色を見たいと思うことはきれい事かい?』 ("何ひとつうしなわず" BRON-K)