Sunday, October 07, 2007

Prefuse 73 - Preparations






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ただのサラリーマンが偉そうに音楽について書き散らかすということ自体が確かにいやらしいとは思うし、金にもならないし数十人程度の人にしか読まれていないのにWEB上で6,7年も書き続けているというモチベーションの出所が不明ですこぶる不気味であることは自覚している。ただ、雑誌を読んでもネットを徘徊しても、つまらない、くだらない、共感できない文章だらけだから自分で作品を整理して納得できる文章を書いているだけ。要は、自分が満足できる文章をひねり出して、自画自賛を繰り返すのが好きなんだ。そして誰かが共感してくれている実感があれば言うことない。

2007年11月号のSTUDIO VOICEみたいな「ディスクガイド」で手抜きのようなことをさもわかったかのように書いているものを見ると唾を吐きたくてしょうがなくなる。(「ディスクガイド」って万人へ音楽を紹介するものだろう?)「M.I.A.がどんな"文脈"にも属さない」ように見えるのはきちんと周辺の音楽を聴けてないだけ。そもそもがGuinessでAtmosphereやAnticonと一緒に並び、Dose OneやDJ Vadimが参加していたTTCの"C'eci Nest Pas Un Disque"はれっきとした「アンダーグラウンドヒップホップ」なのだから、これを取り上げるなら「アンダーグラウンドヒップホップ」をもう少し掘り下げるべきだとも思った。

90年代末から00年代初頭にかけての「空虚感」の話も見事にスルーしているところも不満極まりない。「言いたいことは何もないけど、ガッツリ盛り上がろう!!」という浮かれきった日本語ラップバブルの様相も大いに空虚だけど、あの時期にECDやスチャダラパー、リップスライムにキックザカンクルーが醸しだしていたムードは「いつまで経っても終わらない90年代」という謎のモラトリアムに包まれた「空虚+エレガント=退廃的」という独特なものだった。

そして今思い返せば、そういう時代の「微妙」な空気の中だからこそ、皆が「繊細で、からっぽ」なエレクトロニカを好んで聴いていたのではなかったのかとも思うのである。だから、Prefuse 73の"Vocal Studies + Uprock Narratives"がこと日本で「画期的」だと思われたのは、「ヒップホップとエレクトロニカをリンクさせた」ことより、「ヒップホップをズタズタに切り裂いて、靄をかけた」行為そのものを指しているのではないかと思うのだ。確かにビートもラップも明確に「ドープ」であることが是とされたアンダーグラウンドヒップホップが「アーティスティック」な方向へ流れるキッカケにはなったけども、そんなことよりも「ドープ」が注ぎ込まれた器を意図的にひっくり返してからっぽにした行為自体があの虚ろな時代にマッチしていたのだ。

21世紀になっても90年代がいつまでも続くような錯覚に包まれた00年代初頭。それが「ワールドトレードセンターが崩壊して終わった」とはSHINCOの弁らしいけど、それをまた借りしてもっともらしく言えば03年"One Word Extinguisher"以降、ビートが明確に整理されて、よりヒップホップのフォーマットへ近寄っていく様子は「崩れ去った世界を再構築」しているように見えないことも無い。それは「堅実」だからこそ、作品としてわかり易く、退屈になっていることも理解できる。

03年、日本には「下り坂の入り口」の象徴となる作品が2つあった。MSC"Matador"とKiller Bong "Off & On"。本作"Preparations"ではヒップホップへの歩みを止めて、ビートをもう一度「混ぜる」方向へ行った。"Off & On"よりは全然ポジティブだけども、この作品がKiller Bongのビートに近いと感じさせるところは肝だろう。スコットへレンがこれからコップに何を注ごうとしているのか? この作品の意味はまた後付けで数年後に気付くのだろうけど、「ターニングポイント」としては非常に象徴的で色々考えたくなるほど面白い作品であることは間違いない。

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