Sunday, October 14, 2007

微熱メモ vol.4

・「地域」という横の広がりと、「時代」という縦の繋がりへアクセスする労力はそもそもが大変なことだったのだけれども(というか"掘る"という言葉自体が最近聞かないけど、今となってはその単語そのものに"労力"を感じるな…)、その不便さ故に地域/時代ごとに独特な音楽が育まれていたのだろう。その労力をIT技術が微小なものにすればするほど、その「独特な音楽」は地域を越えて時間を超えて私達の耳に入りやすくなってきた。これは前のMINTのレビューでも軽く触れたとおり。

・しかし、それらの「独特な音楽」がネット上にまとめられ、多くの人に共有されればされるほど、その音楽の持つ「地域性」や「時代性」はフラットになっていく。そしてその「フラット化」の現象は実は既にもう起こっているのだなぁと最近身をもって感じている。

・そもそも00年代の音楽の「特殊性」というのは、それぞれの作品が持つ「雑食性」に集約される。例えばまだ「旬(?)」とされているグライムであったり、クランク/ハイフィの中でも、時にNYアンダーグラウンド、ミドルスクールやダンスホール、ボルチモアにチカーノラップの匂いを色濃く感じることがある(勿論、逆も然り)。TacteelやBassnectarやCherryboy Functionといった国もバックボーンも違うようなアーティストが同時期に同じような音を鳴らしたり、おそらく個人的な繋がりは殆どないであろう降神や小林大吾や外人21瞑想が似たような海外ナードラップの雰囲気を醸しだすのは前述のITによる「フラット化」がなければ起こりえない事象だろう。(アンダーグラウンドヒップホップにけるITの重要性は"put em on the map"でのfuma75氏との対談コラムを参照のこと)

・そして、その「フラット化」現象を「集約音楽」の作成ツールとして活用できているのがM.I.A.とTTCであり、コマーシャルな方面へ有効活用しているのがKanye WestやSoulja Boyだったりする。

・Soulja Boyの「売れ方」は一つのモデルケースとして非常に面白い。彼は自分の楽曲に「その時に流行した曲のタイトル」をつけて、MP3で流出した。すると必然的にリスナーはSoulja Boyの曲を「間違えて」ダウンロードして聴く羽目になり、その中でSoulja Boyに興味を持ったリスナーが彼のmyspaceに訪れ、彼の動画をYOU TUBEで見るようになっていったのだ。Mr. Colliparkが彼と契約したときには既に彼のmyspaceは1000万ページビューがあったという。

・基本的に海外(というか特にアメリカ)の音楽は発売前の音源流出が多く、違法ダウンロードの宝庫だった背景もあったせいか、最近では特に音楽を「パッケージとして売るもの」という意識が薄れてきている。寧ろ、自分の音楽を積極的に世間に聴いてもらったり、「他人の面白い音楽を共有する」ことの方にプライオリティが傾いてきている。(その意識が結果的に、PrinceやRadiohead、Nine Inch Nailsの「ライブに来てもらうためにタダ同然で音楽をばらまく」という姿勢や、Danger MouseやA-Trak、その他のDJのMIXのように「自分の知名度を上げるために音楽をばらまく」という姿勢に繋がっていたりもする)つまり、いまの「音楽」は「企業の商品」という形式から「アーティスト本来の活動を支えるもの」という形式に変化を遂げつつある。「"音楽"は"芸術(アート)"」だという言葉を嫌う人は私も含めて結構いると思うけど、この「形式」って実はそういうことなんじゃないか?

・そして、こういう風に音楽が「フラット化」されてくると、「受け手側」(特に批評家)の能力が問題になってくると考えている。なぜなら音楽が「地域/時代/ジャンル」を超越して流動的にフラットになってくると、音楽を「体系的に語る」ためにはほぼ全ての音楽を聴かなければならなくなってくるからだ。1人のアーティストだけ追うならまだしも、「音楽の批評」を書くことを生業にしている人はその人の持つ「ライブラリ」や「アクセス能力」が今まで以上に読者に評価される時代になってきている…。

・…と、これまでSTUDIO VOICE 2007年11月号に感じた「うすら寒さ」の理由について書いてみました。というか、仮にも「批評」で金貰っている人間がアーティスト/DJやバイヤーや一素人の知識や洞察に劣っていたらいかんだろう。兎に角、音楽について何かを書く以上は「幅広く、量を聴く必要がある」ということを自分にも改めて言い聞かせたい。