SNEEEZE - DEVICE(発売前レビュー)と "ニュータイプ"がつくるリアルについて
SEEDAから端を発したハスリングラップの"リアル"という概念についてはこのブログで過去にいろいろ書いてきたけども、今回はJPRAP.comのbenzeezyが主宰するレーベル『rev3.11』からリリースされるラッパーSNEEEZEのアルバム『DEVICE』の発売前レビューやネットから発信される若手ラッパーの音源の紹介を交えながら、ハスリングラップから脱皮して日本のヒップホップに新しく芽吹く"リアル"について書こうと思う。
まずは、昨年にミックステープ『Joon In Not My Name』をドロップしたMOMENTの音源から。
MOMENT "外人FLOW"
自らを"外人ラッパー"と名乗るように、韓国から日本に留学してきたコリアンラッパー、MOMENT。↑のYouTubeではリリックが出てくるのでわかると思うが、外人ラッパーといいながらも日本語がとても流暢で、韓国語と英語の3ヶ国語を巧みに操りながらラップをする。この曲でMOMENTは、母国でどんなことを教えられて、どういうポリシーを持ちながら日本でラップをしているのかを丁寧にラップしているが、日本語と英語と韓国語という3つの言語を行き来しながらラップすることで1つの言語でラップするよりMOMENTというラッパーの持つバックボーンの複雑さと、そのバックボーンから生まれるラップに対する想いの強さを効果的にあらわしている。
MOMENT "Nation's Best Kept Secret"
↑はTwitterから火がついてMOMENTの曲のなかで再生数を最も稼いだ曲。コンシャスなラップという意味では右翼ラッパーとして名を馳せるshow-kの曲もTPP問題やマスメディアへの批判、脱原発への反対論など非常に過激なテーマを扱っていてヒップホップ以外の分野でも物議を醸しているけども、"外人ラッパー"であるMOMENTが日本人の政治への関心の薄さに警鐘を鳴らすという、show-kとはスタンスは違えど同じくらい過激な内容の曲。(余談だけど、日本人を批判するこの曲のことをshow-kが評価していたのはちょっと興味深い)
SALU "Taking a Nap"
次の動画はBach Logicが設立したレーベル『ONE YEAR WAR MUSIC』からの契約第一弾アーティストとなったSALUのデビューアルバム『IN MY SHOES』からの1stシングル"Taking a Nap"。SALUはネット上の動画インタビューで「Lil WayneとBob Marleyから影響を受けた」と答えていたけども、実際の曲を聴いてみるとラップスタイルやリリックのスケール感に彼らの影響をたしかに感じさせるところが面白い。
このPVを見ると視覚的にわかるけど(実際のリリックは動画下のコメントに記載されている)、国、世界、地球といった規模のレイヤーでSALUの視点が浮かび上がって、自分達の生活のずっと先にどうしようもなく抱える大きな問題へフォーカスしていく。地球規模にまで視界が広がっていくという意味ではShig02や降神あたりも彷彿とさせるが、昨年の年末にリリースされたミックステープ『Before I Singed』の最後に収録された↓の曲も同じように非常にスピリチュアルで、Shig02や降神と同じく熱狂的なファンを生みだしそうな雰囲気を持つ。
「言葉は世界を彩るマジック/ただ文字・音・振動ではない/
世界が求めているのは愛/でもSEXに溺れて見える訳ない/
ただ無限に続いているまたトンネルくぐっている
ことにも気づかず"無限"の意味をググっている/
トンネルの外はゼロだけど神の名の下に弔いつづける」("Nightmares of the Bottom")
SALU "Nightmares of the Bottom"
自分と音楽業界の状況を"看板に描かれている女の子"になぞらえてラップしたという2ndシングル"THE GIRL ON A BOARD"もアルバムリリースに先駆けて公開されたが、生活の先に潜む深くて大きな問題を描きだすという構造自体は前の2曲と同じで、レーベルがSALUを形容している"ニュータイプ"という言葉のなかにはラッパー個人の生活の話しだけには留まらず、"もっと広い視野をもっている"新しい時代のラッパーという意味合いが含まれていそうだ。
"外人ラッパー"ながら日本の国の問題を考えてスピットするMOMENTや、SALUのギミック……私達個人の生活のずっと先にある、いずれは誰も避けることのできないとても大きな問題までマクロに視点が広がっていくという点は、SEEDA『花と雨』から始まったハスリングラップがラッパー個人の生活に対しミクロにフォーカスして鬱屈めいた個々の問題を描き出していたことと対比すると、確かに新しい切り口(ニュータイプ)のようにも思える。
……とは言っても、コンシャスな切り口、視点がマクロに広がっていくというギミックは、3年前にSEEDAが引退宣言アルバム『SEEDA』で先駆けて既に使っていたわけでそれ自体が新しいというものではない。しかしもし現在、↑に挙げたMOMENTやSALUの楽曲を聴いて"何か新しいもの"を感じたのであれば、それはいまの日本の状況がMOMENTやSALUのうたっている内容に強度を与えているからなのではないかと思う。
SEEDA "DEAR JAPAN"
SEEDA "HELL'S KITCHEN"
↓の曲は2011年3月11日のわずか2日後、まだまだ混乱が冷めないなかでYouTubeにアップされたものだが、震災の起こるまえまで「何もしないで生きるということに勇気を与えたい」というようなことをインタビューで答え、無意味な日常をただ漂うような作品ばかりをリリースしていたS.L.A.C.K.が混沌のなかでこのラップをせざるを得なかったという状況自体が相当にシリアスにうつった人も多かったに違いない。当時この曲を聴いたとき、TVの前でありえないことが立て続けに起こる状況が"リアル"になって、無意味な日常がどこかに遠いところに行ってしまったターニングポイントのように感じられた。
S.L.A.C.K.、TAMU、PUNPEE、仙人掌 "But This is Way"
2011年3月11日を境に意識したくなくても意識しなければならない山ほどの問題が目の前に積まれ、同じように見えるはずの景色が変質した。KLOOZがインタビューで「震災前と震災後でshow-kの見え方が180度変わった」と言っていたことにも象徴的だけど、『SEEDA』がリリースされた2009年当時より"大きな問題"が私達にとってリアルに響くようになったということではないか。
JPRAP.comの管理人benzeezyが主宰する『rev3.11』は、日本のヒップホップで起きている"変質"そのもの扱うレーベルとしてネーミングしたものだという。いや応なく、考え方や意識が変わってしまったアーティストとリスナーが繋がる機会を提供するレーベルだということだろう。神戸在住のラッパー、SNEEEZEはネット配信オンリーのそのレーベルからアルバム『DEVICE』をリリースする。
SNEEEZEのラップの特徴は"精神的にダメージを食らいながらも、そのプレッシャーを跳ね返して前に進もうともがく姿勢"にあるとbenzeezyは言う。
「諦めない事が強さなら/捨てれるかな自分の弱さ/
この世はさ/残酷で無残にも不平等な物でさ
妨げたい/今下げられない/ピンチに3分だけ現れない/
オレはEvery day Every night/戦いの中 昨日の自分を越えたい
<略>
痛くはないでも/もうここには居たくはない
Do or die/やるしかない/ためらっても振られるDice
運命 偶然 必然がごちゃ混ぜ/運も味方につけてRun way
どこまで行けるかさ/なんてじゃなくて息が続くまで走るだけ」("Get Ready")
SNEEEZEがあらわすこの種の葛藤は、彼が1995年に起きた阪神淡路大震災で被災して、その頃から抱えているトラウマから生まれているものだ。もしbenzeezyが言うようにそのトラウマにぶつかって"精神的にダメージを食らいながらも、そのプレッシャーを跳ね返して前に進もうともがく姿勢"をSNEEEZEのラップから感じられるのであれば、それは3.11で意識を変えられた人々にも届くものにもなりうるのではないか。
たとえば、このアルバムに収録されている"Doubt"は東日本大震災以降の国の政治や東京電力にまつわるメディアや情報に対する不信をテーマにつくられたような、『DEVICE』のなかでも最もコンシャスな曲だけども、そんな中にも少しばかりの希望が描かれる。
「ネット,メディアに人は踊らされ/We can't control/でも人は流れ
涙またどこかで枯れても落ちても/Nobody stop that
Hard pressure 波に飲み込まれる/現実逃避ドラマのワンショット
TV, NEWSにBadな話に/さえない政治に無意味な正義
何かを変えれば良くなる/時間はかかるけどまた良くなる
喜怒哀楽上手く使い分け/Pressure Pressuer/上手く潜りに抜ける」("Doubt")
MOMENTの曲は先に挙げたコンシャスなものより大学での生活やモラトリアムや、身の周りの苛立ちや悩みをうたい、『DEVICE』のSNEEEZEの曲は自己の葛藤から生まれる。そういった意味では彼らのラップはハスリングラップでうたわれていた(彼らが自分の身近な物事についてうたっていた)"リアル"にとても近い。
しかし彼らの怒りや葛藤(という単語があらわすものより彼らの曲はもっとクールに聴こえるが)が私達の目の前に立ち塞がり、いずれは解決しなければならない"問題"に向かうとき、それらの問題が"リアルなもの"として浮かび上がってくる。SWAGと言われるUSのヒップホップのモードをファッショナブルに着こなしながら、この新しいレイヤーの"リアル"を提示しているラッパーを"ニュータイプ"と呼ぶのなら、なんとなく説得力はある。
13 comments:
うーん、もっと端的なレビューが読みたかった。
サーセン。
作品そのもののレビューは自分の書きたいことじゃないので、ここではあまり期待しないでください。
長い文章で読みづらいという意味でしたらスキル不足なので精進します。
面白い視点のレビューでした。ニュータイプのラッパーが今までと違うのは、マクロな視点を持つだけでなく、個人の問題が世界に「つながっている」ことを意識しているからだと思います。何か不満や問題があっても誰かのせいにすると、問題はそこで止まって解決には至らない。ただの対立構造で終わります。だけどいったん自分に引きつけてどういう構図の中で起こったかを考えることで自分と世界がつながっていることを自覚する。SALUがIn Your Shoesで言っているように、日々の意識していない消費行動も自分が批判している企業や社会を支えることにつながっているかもしれない。そこを言いっぱなしではなく、ちゃんと自覚しているところが新しい気がしています。3.11.以降、特に原発問題があってから、ますます個人と世界のつながりを良い面でも悪い面でも意識するようになっているかもしれないですね。
そうですね。いまのコンシャス系のラップは正に3.11を外しては語れないものだと思います。ポイントとしては、自分達の身の周りのことをうたっている中で、更に社会的なテーマ、世界の問題をうたうからこそ、そういった問題にリアリティが生じる、というところだと思います。
あと、自分のTwitterの中で「ラップのなかで語っている内容が、TVやメディアなどの紋切調のものを横流しするのではなく、きちんとラッパーが行動して出てきたものかどうかで印象が変わる」という指摘があり、それもなるほどなと感じました。
ここにあがっていたラッパーだけでなく、いろいろな世代のいろんなスタンスのラッパーが同じようなテーマを扱ってき始めているのも面白い点だと思いますね。また、コンシャス系ラップについては何か書きたいですね。
コメントありがとうございます。
「自分のこととして社会や世界のことをうたっている」、確かにそうですね。そしてコンシャス系でなくても、そこをうたっているラッパーは増えたのかもしれません。
S.L.A.C.K.が、ただ世の中に唾を吐いて切り捨てるようなことはせずに、生きづらい世の中を生きるためのやり方として、「適当に行けよ」と言っていたのも、彼なりに自分が社会とどう関わるかをうたっている気がしました。
彼がよく言う「適当」は「いい加減にやれ」じゃなくて、効率化で人間的な感覚を失った世の中に合わせて自分を傷つけるのでなく、「自分にとってちょうど良い(適切で妥当な)」やり方で行けよ、ってことだと思います。
実際どうかはわかりませんが、自分がS.L.A.C.K.「NEXT」のライムに救われたりしたのは、それが微熱さんが言うように自分のことをうたいながら社会とも関係していて、だからこそリアリティを持って受け手に届いたからだと思ったりしました。
またまた長文すみませんでした。
Genさんのご指摘のとおり、S.L.A.C.K.の見え方は『My Space』の頃から大分変わりましたね。はじめはすごくパーソナルなことをうたっているだけのように見えていたのに、作品を重ねる毎に彼の人間愛みたいなものを感じるようになってきました。
「自分にとってちょうど良い(適切で妥当な)やり方で良いんだよ」と勇気を与えようとしていた彼の人間愛から生まれるラップが、3.11以降にまた新しい形に変わってきているようにも思えます。
S.L.A.C.K.だけでなく、NorikiyoやSeedaあたりも社会的なテーマのラップをしていますけど、彼らの"社会的なラップ"が本当に"自らの意識"や"自らの行動"からうまれているものなのか?彼らは過去に"リアル"なヒップホップを通過して体現していたからこそ、そのラップが聴き手の心に響くのか、それとも違和感を覚えてしまうようなものになるのか露骨にあらわれてくるのではないかと思います。
個人的には、Norikiyo、Seedaあたりの"社会的なラップ"は過去のハスリングラップに比べるととても希薄な印象を覚えます。
最後のコメント、同感です。
これからの時代、自らの意識や行動をともなわず、ただ相手や社会をdisるということからは何も生まれないと思います。
もし不満や不安があって新しいものを創ろうとするならば、そこに自分のタグを埋め込み自分のこととして言葉にしないと「具体的なこと」にはなり得ないと思います。
新しいものを創造することは具体的で、継続的なことで、今あるものを破壊するのは匿名的で、瞬間的なことだと誰かが言っていますが、Hip Hopでも同じなのではないでしょうか。そしてそれは別にコンシャスなラップに限ることでもない気がします。
最後の新しいもの~のくだり、非常に感じ入るものあります。ラップとして何をうたうべきかというのは勿論ラッパーに委ねられるものですけど、それが本当にリスナーの芯にせまるリリックになりうるかどうかは、いまの時代こそシビアになってきているような気もします。
それはインターネット時代の世の中だからこそラッパーの制作スタイルやペース、それこそツイッターの発言や行動ひとつすら可視化されるからです。言い換えると、ひと昔前より受け手はアーティストの嘘臭さを見抜きやすくなった環境にいるということですね。
このテーマの話はツイッターでも色々と考えさせてもらえていて、このコメント欄での議論も踏まえてもっと踏み込んだことを書けるのではないかと感じています。興味深い指摘、ありがとうございます!
Norikiyoは、社会的ラップになると内容が「浅い」少なくとも、メディアの情報を縮小再生産した理論が多いなというのは自分も思ってました。
例えば現在なら、原発問題をテーマにした曲が沢山出ていますが、田我流のマクロな視点から現実の大きな問題を批判するという方法は説得力を感じました。
間違い訂正
田我流の×マクロな視点→〇ミクロな視点
の間違いでした…。
追伸
MikrisのUmbrella(サビはSaluが作詞)って曲は、原発事故をテーマした曲の中でも視点が面白いなと思ってました(日常っぽい視点といいますか)。
そうですね。
各々のラッパーのスタンスに対して、3.11をどう落とし込んで説得力をつけていくかというのが2012年以降の日本のヒップホップのテーマだと勝手に思っています。そういう意味ではD.OとTHA BLUE HERBの新作はそれぞれラッパーのスタンスと3.11のテーマが上手く織り込まれた作品になっていて面白かったです。
>MikrisのUmbrella
未聴なので、チェックしておきます。情報ありがとうございます!
そうですね。
各々のラッパーのスタンスに対して、3.11をどう落とし込んで説得力をつけていくかというのが2012年以降の日本のヒップホップのテーマだと勝手に思っています。そういう意味ではD.OとTHA BLUE HERBの新作はそれぞれラッパーのスタンスと3.11のテーマが上手く織り込まれた作品になっていて面白かったです。
>MikrisのUmbrella
未聴なので、チェックしておきます。情報ありがとうございます!
あ、因みにMikrisの曲はこれです。
http://www.youtube.com/watch?v=viHus4CRUxc
D.Oの新譜はいつになく暗い印象を受けました。
過去を振り返ってる歌詞が多いからかもしれないですが。
逆に、BOSSは3.11以降に対して比較的楽天的なのかなと。
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