Friday, October 03, 2008

Anarchy - Dream & Drama & NORIKIYO - OUTLET BLUES





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"My Words"のときにも書いたけども、Anarchyのラッパーとしてのエネルギーの源は「夢と現実」のギャップに生じるストレスにあると思う。それは人知れず地方都市で活動することのストレスが"Stilling, Still Dreaming"を生んだみたいなもので、そのギャップが大きければ大きいほどAnarchyというラッパーの魅力が大きくなっていくのではないか、という考えは今も変わらない。

"Dream & Drama"でここまで巧みにストーリーテリングを練り上げて、自分の「夢と現実(=リアル)」をきちんと落としこめていることにビックリしたのだけども、反面、その端々に見えてくるのは「描いている夢のディテール」で、聴いているこっちがドキドキしてしまうほど自信満々で広げていた"Rob the World"の得体が知れない風呂敷のデカさに比べれば、あまりにも地に足着いた「夢のリアルさ」になんだか興ざめしてしまった。

「ただ夢を追い求めることにはいずれ限界がある」ということにすら自覚的になっているAnarchyの「夢を持て」という言葉は魅惑的というより、寧ろ「その為の努力や代償」のプレッシャーのほうが重くのしかかってくる。

「NORIKIYOのラップは単調で、BLのトラックは平坦で面白味がない」という評価をたった1年で、BLは何かに開き直ったかのような悪趣味で派手派手しいギミックと、聴き手の想像の斜め上をいくようなアイデアで、NORIKIYOはその変則きわまるビートのうえでも見劣りしないくんずほぐれずのラッピンフロウで跳ね返した。

"EXIT"での「迷路のような人生のなかでビッコを引きながら出口を探して前進する」姿にブルースがあるというならば、「BIKKO」というワードや「出口を探して前進する」ような描写がほとんど出てこない"OUTLET BLUES"にはハンデキャップを抱えながらも歩みを止めない男の哀愁というよりは、「ラッパーとしてやっていく他ない」という開き直り感のほうが強く打ち出され、そこにはブルースというより、その開き直りの先にある「本当にこれでやっていけるのか?」というような漠然とした不安が靄のようにかかっていて、曲調と相まる躁鬱っぷりがどうにも落ち着かない。

しかし、その「ラッパーとしてやっていく」という開き直りのもとで、ラップスキルが磨き上げられ、プロダクションが飛躍的に向上したというならば、「リリックの面白味」が「作品の面白味」に変わっていく、「リアル志向」が「作品主義」へ移行していく過程を、NORIKIYOの素の想いそのままに見て取ることのできる貴重な作品として大変興味深く聴きこむことができる。

14 comments:

Anonymous said...

自分はUSヒップホップは売れてるものしか聴かないんですが、BLのトラックってyoutubeとかでみてる限り評価高そうですよね。トランス・ヒップホップとか言われてましたよね(?)
NORIKIYOは自己否定の方向がナルシスティックなものではなくて、独特な方向に行ってますね。抱えてるブルース、ってデカく見えるのは何でなんですかね。A-THUGとかは逮捕くらいどうって事ないっていう感じだなーって思い。

微熱さんはニトロでは誰が一番興味ありますか?
S-WORDの新譜がアナーキーとプロデューサーが被ってるらしく、ベテランの作品として気になります。

Anonymous said...

「トランスヒップホップ」なる言葉を知ったのは、本当につい最近のことなのでまだ全然ピンと来ていませんが、BLのあのトラックには凄いオリジナリティを感じます。「削ぎ落としていく」というB-Moneyのトラック作りと真逆のもので、あれは日本でこその発想のものだと思う。

時折NORIKIYOが垣間見せる「仕方なくラップやってる」的な表現ってなんなんだろうってとこに興味あります。そんなことも無いと思うんですが。

最近までの作品を聴く限り、良いと思ったものはないので、いまは全くニトロに興味ないんですが、敢えて言えば未だにDELIなんじゃないですかね。S-WORDのその話とか聞くと若干興味持ちますが。

Anonymous said...

はじめまして
最近ここを知ってよく読ませていただいています。

独特の切り口のレビューにはいつも唸らされております。

今回のNORIKIYOははじめて知ったのですが、なかなかいいですね。

日本語ラップも試行錯誤のときを経て自分流の、それでいて不良的なラップというのを見つけてきてると思います。

僕の知ってる日本語ラップというと「メジャーでセルアウト」か「アングラで反メジャー」しかなかったような思い出がありますが、ホントここ最近はいろいろ出てきて面白いですね。

Anonymous said...

去年のSOURCEのネットレビューでも「07年で日本語ラップは大きく変わった」というようなことを書きましたが、正確には06年を境にした「前/後」で日本語ラップそのものがまったくの別物だという感覚でいます。それはおっしゃるような「"メジャー"と"アングラ"の捉え方の違い」だけでなく、「アメリカのヒップホップに対する距離感の違い」もそうだし、「日本語ラップに対する世間一般の認識の違い」や、「ネットやレコ屋/クラブを含めたインフラ面の変容」、前々から指摘している「リリックの変容と"リアル"という言葉の進化」など、ざっと挙げるだけでもこれだけの日本語ラップにまつわる価値観がダイナミックに変わってしまったからです。


そういう時代認識なので、08年は「前の日本語ラップ」でいうところの95年くらい「後の日本語ラップ」にとって貴重な年だと捉えています。


しかし、その「前の日本語ラップ」しか感受できない人はアーティスト側にもリスナー側にも一定数必ずいるとも思うので、その「前/後」の参加者の間に生じるギャップがどんなものを生むのかにちょっと興味があります。

Anonymous said...

DABOとかは日本語ラップの歴史とかをよく見てますよね。ECDから最新のハスリング系まで何でも知ってる最後のラッパーかな?とか思います。nitroの最新で、スイケンと職質されるのって「サイバーなトウキョウシティ」を描く事の多い中で唯一次世代と同じ視点かなって思ってました。

そういえばBESはもっとさらに内面にフォーカスしたアルバムでしたね。殆ど病気に近いというくらい、重苦しい雰囲気で。ああいう自虐性も昔のヒップホップには無かったですよね。ホワイトトラッシュっぽいというか。

Anonymous said...

なんていうかもう「サイバーなトーキョー」って感覚自体が古いwまぁそれを表現しようとしているかどうかは抜きにしても、そういう冷徹な東京のイメージを描いてしまう感性自体が古いと思います。
というわけで上にも書きましたが、古株のアーティストは「どうやって06年以降の日本語ラップに感性をあわせていくか」が課題なんじゃないでしょうか。
自分的に期待しているのはソウスクやTwigyなんですが。(Ashraとの曲もよかったです。)


BESは機会があったらレビューに書こうと思うっているんですが、一見するとSWANKYのアルバムからだいぶ変化しているように見えるんですが、SWANKYのころからその核には「人間味」があるんですよね。今作はとても病的な内容ですけど、そこを踏まえるとだいぶ腑に落ちるものがあります。

Anonymous said...

「ココ東京」(意味不明なタイトル 笑)のプロモみたいな。どうしてもああいう感じになっちゃうんでしょうね。ソウスクにもtou-kyou(でしたっけ?)ってありましたね。誠実さが災いして損してるなーって思ってたんですが、逆に適応度は高いのかもしれないですね。
作品主義で言うと現在のノリキヨはもう一歩先に行って、「ロマンクルーとかが新しい」とか言ってましたよね。

BESが特に人間味があるって事ですか?昔のラッパーは歌詞聴いてもどんな人間かって分からなかった気がします。

Anonymous said...

「ココ東京」(意味不明なタイトル 笑)のプロモみたいな。どうしてもああいう感じになっちゃうんでしょうね。ソウスクにもtou-kyou(でしたっけ?)ってありましたね。誠実さが災いして損してるなーって思ってたんですが、逆に適応度は高いのかもしれないですね。
作品主義で言うと現在のノリキヨはもう一歩先に行って、「ロマンクルーとかが新しい」とか言ってましたよね。

BESが特に人間味があるって事ですか?昔のラッパーは歌詞聴いてもどんな人間かって分からなかった気がします。

Anonymous said...

仲俣暁生とかが言っていますが、再開発やら何やらで東京の、特に郊外の風景は大分変わってきています。半径何Kmの人たちがその地区の中心施設に行けば大体のものが揃ったり、遊べるようになってきている中で、いわゆる都庁的なビッグで冷徹なビルディングが東京全体を支配している的な感覚なんて絶対に古いですよ。


RomancrewはUSのメインストリームの先端の音楽に影響を受けているという話を人伝で聞いたことあるんですが、確かにちょっと前の古臭いブラコンみたいな曲調ではなくなってきてますね。音楽面で見るとNorikiyoの"OUTLET BLUES"に大分近いとこにいる気は確かにします。(とは言っても、"duck's market"は最近聴いたばっかでまだ全然聴きこめていませんが。)作品主義といってもUSのメインストリームに自覚的な音楽は聴きごたえがあって好きです。


BESの話はあんま書くとレビューに書くことがなくなってしまうのですが…。"Bunks Marmalade"と"Rebuild"の内容は、それぞれの最後の曲に描かれている自分の身内にふりかかっている問題へのアンサーに基づいたものであるということです。そうやってみると結構必然性のある変化に見えてきます。

Anonymous said...

romancrewは歌詞とか人間に重点があるというよりは、音楽性に重点があるというところが、「作品主義」かな?と思いました。
話変わりますが自分はUSの新譜ってほとんど聴いてなくて、よくある邦リスナーなんですが、hiphopに限って邦リスナーなんですよね。他のジャンルは洋を積極的に聴いてて。こういう人が結構いて、なぜなのかな?とよく思ってます。

前に微熱教授さんが「物語性」(証言とか、rumi vs 般若とのmcバトル)、ってことについて書いておられましたが、ハスラーがパクられたリするのも物語なのかな?って考えてて、B.I.G JOEはまた別としても、2chとかでは自己責任とかいって叩かれそうだなって思ってて。besの最後の曲とかもそれで印象が変わるというか。自分はあの歌もbesも好きですけどね。これも、レヴューに差し支えたらスルーしてもらって結構です。スイマセン;

Anonymous said...

>人間に重点があるというよりは、音楽性に重点があるというところが、「作品主義」かな?と思いました。

そういうニュアンスだろうなと思って敢えてああいう(USメインストリームに焦点を当てた)書き方をしました笑。個人的にいま「作品主義」っていう点で面白いと思っているのはUSメインストリームを意識した作品と、KEN THE 390や環ロイ(大くくりに言えばダメレコ周辺)あたりの動きなもので。


ヒップホップに限って日本語ラップしか聴かないっていう人を私は見たことがないので、なんとも言えませんが、日本語ラップファンが日本語ラップしか聴かないっていうのは、日本のリスナーが日本のPOPSやROCKしか聴かないのと同じで海外の音楽に対する壁(言語的、文化的な)のせいなだけってずっと思っていました。なので、夜行列車さんがそういう聴き方をしているんであれば逆に何でか知りたいですね。



「リアル」って言葉を考えると今の日本語ラップのネタは大きく分けて3つに別けられると考えていて、それは「自分の過去に関するリアル」と「自分が今おかれている環境や生活に関するリアル」と「自分の想い(感情や本音)に関するリアル」なんですね。


そうすると、"Bunks Marmalade"は「環境や生活に関するリアル」を表現した作品で、"Rebuild"は「環境や生活に関するリアル」と「想いに関するリアル」のちょうど中間に位置する作品に分類できるんですけど、なんでそういう表現になったかっていうと、結局両方の作品にある全ての曲はそれぞれ最後の曲に対するネタフリなんですよ。


"Bunks Marmalade"の最後の曲は、自分が世話になったオジさんが抗争に巻き込まれて裁判で重い判決をくらったというネタなんですけど、これは自分の手が届かない、自分が介在することができない社会だとかルールだとか人間関係のいざこざ(総称して"バビロン")が自分のオジさんを絡めとっているんです。だから、最後の曲をより効果的に聴かせる為には、そういう自分ではどうにも出来ない環境(バビロン)の不条理を徹底的に描くのが良い。


次に、"Rebuild"の最後の曲は聴けばわかるとおり、自分の息子が置かれている境遇への想いをうたった曲で、これは逆に自分が息子に対してやってしまったことをうたっている。そうするとこの曲を効果的に聴かせるためには、自分の不甲斐なさやダメな生活を徹底的に表現する方が良くて、その方が息子の不憫さや自分のダメっぷり(自己否定的表現)が際立つんですよ。


まぁこれを本当に計算して作ったのかっていわれると知りませんが、仮に計算していなかったとしても、「自分が書きたかったこと」を立脚点にして考えればこういう作風になるのも納得できるかなと考えていたんですね。まぁまた同じことをレビューに書きます笑

Anonymous said...

http://mint-seijotcp.blog.so-net.ne.jp/2008-09-29
携帯小説について語られてるのありました。
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そうすると作品主義って特にリアルでは特に語るべきものを持ってない人の表現方法かな?って思いました。

BESはそういう聴きかたもありますね!俺は、前作の「評決のとき」はボーナストラック的に思ってて、rebuildの最後の曲とは違うなと思ってました。
「評決のとき」に関しては、拳銃を嫌う唄にしては暴力への憧憬が見えるんですよね。あれは複雑な自意識が伺えます。
リアルヒップホップって言葉、沼田充司さんは、ブートキャンプ周辺の狭いヒップホップ感(サンプリング、NY至上主義)を持った奴らが使い始めたって批判的に書いてました。
リアルといえば、刑務所の看守とかにMSCとかって言うと伝わるらしいです。凄いことになったなと(笑)

自分がヒップホップに関してだけ邦楽なのは、自分も謎なんですよね。それこそ歪んでいるというか、日本オリジナルより、モサドみたいなのを楽しんでしまう自分がいます(笑)
そういえばレイトっていうラッパー出ましたが、信者生みそうだなって思いました(笑)

まとまりのない文章になりましたが。
BESのレヴュー楽しみにしてます。

Anonymous said...

その参照先に書いてあった「頭が悪いからこそうまく言葉に出来ない繊細な葛藤」っていうのはいまの日本語ラップにもあると思います。最近思うのは紙に書かれたリリックを読むだけでは伝わらない表現の幅がいまの不良ラップにはある。それが「ラップ」の表情豊かなフロウやら韻のレトリックであらわされているのだと思うけど、いま不良ラップについて批評を書こうとするときに重要なのはリリックではなくて、そのラップの中に垣間見れる表情なのではないかと考えています。


昼休み終わるので、まずこの辺で。

Anonymous said...

>作品主義って特にリアルでは特に語るべきものを持ってない人の表現方法

そうなんじゃないですかね。イメージとしてはライムスターとかに顕著だと思うんですが。
前の対談のときにも話しましたが、「リアル」という表現にはやはり限界があると思います。「過去のリアル」に限界があるのはもちろんのこと、「環境のリアル」だって環境が変われば内容は変わってしまうし、「感情のリアル」もパターン的に限度があるんじゃないかと。


>リアルといえば、刑務所の看守とかにMSCとかって言うと伝わるらしいです。凄いことになったなと(笑)

あーそれは聞いたことありますね。実際に警察がMSCの音源とかを聴いているという噂を。勿論、調査目的でしょうけど、そっからファンが生まれたら面白いなぁと思ったことあります。


>レイト

自意識との葛藤系のラップって、いまの不良ラップのほうがクールに表現できている気がするんですよね。こういうのって意外とまだ有効なのかなぁ。自分的にはもう古い印象があるんですが。