Thursday, May 03, 2007

SEEDA - 花と雨






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「ワックだ」と言われたり、「これは無駄だ」と言われるような要素を全て削ぎ落とした引き算の解のようなB.L.のビートは、一見ドラマチックに見えるけど他のビートメイカーと比較しても面白味がなく、90年代のアメリカのビートの端正で綺麗な部分だけを焼き直ししたかのようだ。成程、SEEDAのラップはブッダやオジロ、ジブラなどの日本語ラップの「良い所」を出自と併せて綺麗に消化しているけども、しかしその素晴らしいフロウだけでは作品の「特徴」には成りえない。

この「花と雨」は「クラシック」に相違ないけども、その理由は「ビートが優れているから」だとか「ラップが凄いから」というよりも、極めて「文学的」なリリックにあると考えている。いままで「文学的」と言われた作品はたくさんあったけども、この「花と雨」こそが真の意味で日本語ラップで初めての「文学的」な作品と言えるのではないか。

今までの日本語ラップにおいて、リスナーは「作品」をそのラッパーの「一部分」として趣味や考え方、生活を聴き解くことしか出来なかった。いままでのラッパーの作品には、セルフボースト物やメイクマネー物、クルーとの連帯感をうたった物や社会批判、地元の話など色々あったが、そのラッパーの「生い立ち」や「成長の過程」や「ダメな側面」(全てそろえて「パーソナリティ」)が落とし込まれた作品は無かった。例えば、「リリシスト」と言われたBOSS THE MCは自分の力を誇示し他を蹴散らす力強いリリックと夢を描く美しいリリックを練り上げ、「リアル」と言われたMSCは新宿での「現時点の生活」の生々しさをより精緻に伝えるため、身の回りのことを細かい筆致で描きあげた。しかし、自分の「成長の過程」や「ダメな側面」等の「パーソナル」な部分にはスポットを当てたラッパーはいなかった。「リアルな俺」や「カッコいい俺」を描くラッパーはいたのだけども、「リアル」に「カッコ悪い俺」を描いたラッパーは今までいなかったのだ。

SEEDAは「花と雨」で貪欲に自分自身を作品に投影する。SEEDAは「生い立ち」と「自己の成長」を丹念に描き、それを踏まえた上で「環境に翻弄される俺」(ダメな俺)を描く。そして、リスナーは「花と雨」を咀嚼することで、「SEEDA」というラッパーの人生と人間性を知る。これは過去のラッパーの作品ように「一部分」的に解釈させるような物ではなく、「花と雨」ひとつの作品を通してあらゆる側面から素の「SEEDA」が描かれる彼の「成長録」だ。

つまり、「花と雨」は一貫して「ダメな俺」が描かれた初の日本語ラップ作品であり、「ダメな俺」の人生と生活を全て作品に吐き出すという行為こそ「文学」とよぶに相応しいものだろう。そうしてみると、リスナーに散々感情移入させた挙句、終盤に「泣き」の曲を持ってくるところも実に「うーむ」と唸らせてくれるアジな展開なのである。

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