Anarchy - My Words
listen here
今年もたくさん日本語ラップを聴いてきたけども、その中でもThug Familyは突き抜けていた。「これは事実」、「真実をライムする」としつこく念を押しつづけるのだけども、その先のリリックが「裏切り者を暗殺」とか「ナイフを隠して街角に立つ」とか「敵を見つけて銃弾を撃ち込む」という内容。スキットでも「アイツはThug Familyを裏切ったから頭を一発で撃ちぬかれた」などと不吉な発言が飛び出しているので、こんなのが"真実"なら犯罪者だぞ!!と独りで突っ込んでみたら、曲中で「俺達は犯罪者」と名乗りをあげていた。リアルすぎてまるでファンタジー。Thug Familyには決して近寄らないことを08年への抱負とした。
RYUZOのアルバム"Document"はトラックもラップもリリックも07年を象徴するかのような内容で、つまりは見事な「不良ラップ」だった。「07年っぽさ」という観点で見れば、意図的にトレンドを外したSEEDAの"街風"や、リリックに説得力が無いZEEBRAの"World of Music"よりクオリティが一段上。にもかかわらず自分にどうにもハマらないのは前にも書いた「ヒップホップに対する距離感」のせいだろう。ヒップホップへのどっぷりの「愛」と「救いを求める姿勢」がどうにも鼻につく内容で、それを取っ払って裏返してしまうと醜悪な「ナルシズム」というか「自己憐憫」が姿を現して、聴き手に「哀れみ」を植え付けにきているかのように見えてしまう。
ところで「ヒップホップに対する距離感」という話では、いま一番特別な位置にいるのは、その「距離」を「逆境」と言い換えて、"仮想敵"として闘っているANARCHYだと思う。
ガキの頃から「ブリンブリンに着飾るM.O.B.の財布の薄さに気付」き、「貧乏だらけ しょうもないやつだらけ」の団地の一角で本物のスーパースターになるために「冷たいアスファルトはいつくば」ってラップする。「寒くて寒くて眠れな」く、「不安で不安でまた寝付けない」日々も夢が実現することを信じてラップする。
「音楽で飯を食う」ということ自体が馬鹿馬鹿しく見えてしまうこの時代に、「夢」という言葉を多用するANARCHYのラップには北の僻地で逆境に耐え忍んだBOSS THE MCや、新宿の路上で閉塞的な環境に耐え忍んだMSCと同じ「重み」を持つ。彼はヒップホップを強烈に愛し、スーパースターになることを熱望する。だけども、彼が恋焦がれるヒップホップとそのスターダムは果てしなく遠いところにあり、「逆境」の壁は途方も無くぶ厚い。しかし、その壁が厚ければ厚いほど、距離が遠ければ遠いほど、比例して彼の「夢」という言葉の重みが増していくのだ。
本作でもANARCHYは全ての曲で「逆境」と闘っている。アルバムの曲だけで彼のバックグラウンドをわかった気になっている私も私だが、彼の「闘う理由」を知った気になっているだけでも、作中のどれもが同じような内容である意味がわかり、リリックの響きもガラリと変わってくる。「ヒップホップスター」になるという果てしなく遠い夢への「闘いの音楽」――"My Words"の魅力が存分に伝わってくる。
だからANARCHYの隣で、漢が「Thug My Life!!」とか「争う! 時にどつきあう!」などと似たようなラップをしていると、そのあまりの得体の知れなさと、敵の見えなさに鼻水が止まらなくなってしまうのだ。ある意味、この曲にもSEEDAの"Mic Story"と同じで、いま誰の手にコインが渡っているのか如実にわかってしまう物悲しさがある。