Saturday, March 29, 2008

Neon Neon - Stainless Style






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前衛的なことをやるのはもうダサい。「今はダサいことをやってる奴がカッコいいんだよ」というアクロバティックな価値観の転覆から現在のムードが紡がれて5年は経ち、いまではWileyが80'sのダサさだけを掬い取るばかりかダンスまでもが革命的にダサい"The Rolex Sweep"を流行らせようと企み、Crime MobのPrincessが"Pretty Rave Girl"の上でラップするなどロリコンコミュニティ内で各々が切磋琢磨し対象年齢を下げ合うかのようにダサさを改新し続けている。そんなチャーミングなコミュニティに「俺はショタもいけるけど?」と殴りこみに来たのがBoom BipとSuper Furry AnimalsのフロントマンによるNeon Neonである。"Stainless Style"は、現在のディストピアが遂にはAnticon直近をも射程圏内に捉えたメルクマールだ。

Boom Bipは2000年にDose Oneと"Circle"を作り、2002年にエレクトロニカに傾倒したソロアルバムを作っていることから判るようにいつだって流行りから半テンポ遅い。遅いかわりに、全体を俯瞰して的確に求められているものを見抜いてその美麗さと醜悪さをえぐり出す。このアルバムで彼がやっていることは、5年前にやっていたことと真逆なように見えるけど、実のところ「キラキラして大味でダサい」という点では全く同質の不穏な空気を醸しだす。この普通じゃない空気を偏愛する性質こそが「Boom Bip=アブノーマル・ショタ野郎」たる所以だ。

80年代のシンセサイズされたポップミュージックを今の視点から再構築したChromeoを手本としながらも、Chromeoの命綱となるヒップな黒人音楽の基盤を削ぎ落とすことで、さらなるダサさの臨界点を目指すところからNeon Neonははじまる。80年代の音楽の中でもただダサいだけの黒歴史のカケラを広い集め、Cut CopyやHot Chipみたいなディスコロック、Italians Do It BetterからCool Kidsのような勢力まで、根こそぎクールさを剥いで大仰なダサさだけを加味していく。そして、世の大勢がまだ心の準備ができていない90年代ブリットポップのダサさまでもをGruff Rhysのメロディーによって武装することで決定的に格の違いを見せ付ける。

思い返せば、00年前後のアンダーグラウンドヒップホップはダサさを削いで、スノビズムのカケラを繋ぎ合わせて出来ていたもので、当時はそれが「前衛的だ」と評価されていた時代だった。それこそHoodなんかがAnticonの力を頼って前衛性を獲得しにいったところから21世紀がはじまったはずなのに、気付けばヒップホップの人が前衛性を捨ててダサさを得るためにロックに擦り寄るようになったことには隔世の感を拭えない。

Monday, March 10, 2008

TKC - 百姓一揆






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多くのラッパーやトラックメイカーをフックアップしてシーンに多大な貢献をし、自身のブティック運営のみならず、NYの一街区を買い取ってレジャー施設をつくり、世界一強い女をプライベートでメロメロにしているJay-Z元社長は、「勝ち上がり」を絶対的な価値とするヒップホップの"象徴"といって過言ではない。もう私の頭のなかでは「Jay-Z=HIP HOP」の純然たる公式が刷り込まれているので、作品で彼のありがたい声を聴けただけでも涙が自然に流れてくる。「彼のラップが"上手い"から頂点にのぼりつめた」のか、「頂点にいるから彼のラップが"上手く"聴こえる」のか、これは目下最大の考察テーマだ。

07年の日本語ラップ作品は総じてレベルが高かったとは思うけども、「ナンパしたけど他の男に取られちゃったよ~」とか、「ウィード吸いたいけど手元に無いな~」とか、ボンクラな生活の中にたえず転がっているモヤモヤをストレートに作品に落とし込んだTKCの"百姓一揆"こそが一番のフェイバリットだった。

"百姓一揆"はとても奥が深い。ナンパネタやウィードネタのモヤモヤも根本はそうなんだけども、「人間なんて生きているだけで地球の害だ」という辛辣な極論をふりかざす環境問題のテーマや、「自分が生き残るためにはどうしても他人を蹴落とさなければいけないんだ」という熾烈な競争社会にちなんだテーマも含めて、TKCがこの作品で表現しようとしているのは「この世の矛盾」に他ならない。誰かがおいしい思いをしている陰には誰かが犠牲になっている、ということを色んな視点から飄々と描く。

それこそ「ヒップホップ」という枠組みのなかにいる以上、「勝ち上がりの欲望」を抑えこむのは難しいことだけど、TKCが"百姓一揆"で抱えている「矛盾」の根本はまさにソコにあって、「誰かを犠牲にしてまで本当に勝ち上がりたいのか?」という自問自答が作品の中で延々と繰り返され、答えの出ない問いかけの先で鬱にまで陥っていく。

「彼が生きると俺が死ぬると、俺が生きるには彼が死ぬるの二者択一。
 "目指せ!博愛精神"に矛盾が走る。"正しい"は虚しい。悲しい話ジャスタウェイ。」("Another Tension")

「テンパってるとか言われるかもな。『限界です』って言ってもムダだろ。
 待ってくれねぇな時間だけじゃねえ、友情、愛情、当然じゃねぇか。
 わかっているのよ、わかっちゃいるのと裏腹、心が病気になるの。
 できれば闇、心の病みが晴れない明日ならこの際いらねー」("U2")

結局、TKCは「勝ち負け」をベースにしたヒップホップ的な競争社会で私利私欲のために闘って勝ち上がっていくことよりかは、みんなが幸せに過ごせるような環境でのんびり好きなことだけをやっていたい人なんだろう。しかし、現実には「のんびり好きなことだけをやる」ためには先ず勝ち上がってそういう環境を作らなければならない。こんな「欲望の矛盾」をはらすかのように彼が描き上げる「ユートピア」の絵は人によっては甘ったるく見えるかもしれないけども、私には切実な想いが込められているように見えてならないのだ。

「必要以上の争いはなく、全ての者に平等。平成はやっと元年を迎えそう。
 満ち足りているなら欲しない、欲しないなら取り合うことはない。
 寧ろあげましょうか? 何が足りない?一杯あるから持って行きなさい。
 君も一杯に持って行き、足りない誰かにあげなさい。
 それを条件としているなら限りなど最早いらない。ここはユートピア。」("Utopia")

"競争"というどうしようもないプレッシャーにさい悩まされるTKCは、それでもその自問自答の果てに"協調"という一つの対抗手段を見出す。しかし、その"協調"の先にも"競争"は生まれてしまうし、"競争"があるからこそ生まれる"協調"もある。こんな「矛盾」をも"百姓一揆"は見事に描き出している。

Saturday, February 16, 2008

Various Artists - Once a Hue, Always a Hue






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4月くらいにはこのブログにアップできると思うけども、ついこのあいだ古川耕氏と磯部涼氏の3人で日本語ラップに関する鼎談を行った。彼らの話を聞いて、改めて思ったのは「ヒップホップは"矛盾"の上に成り立っている音楽で、自分はその"矛盾"に惹かれてこの音楽を聴いている」ということだった。その場では、アメリカからの輸入文化を日本で表現するというときに生じる「矛盾」について話し合っていたけど、もっと身近にフトその「矛盾の魅力」を感じるときがある。

「スポーツが自分のエゴをむき出しにするのが美しいなら、文章は自分のエゴを隠しとおすのが美しいとおもう。」

例えば、いつも巡回しているブログで見たこんな思いつきの中にでさえ、時には他人を蹴落とす「ゲーム」として成り立ち、時には身の周りのことを描写する「文学」として成り立つヒップホップの矛盾について考えることができる。「日本語でのラップ」や、「ITを駆使したヒップホップ」、「商業主義的なラップ」など、ある種の人が目を伏せたくなったり、ファックサインを送りたくなるものを「矛盾」としてそのまま成り立たたせてしまおうとする意志がそこら中に満ちていて、しかもそれを内包できてしまうヒップホップの懐の深さに絶えず興味を惹かれているのだ。

"微熱メモ VOL.5"に表したとおり、いまや「先鋭的」と称されるヒップホップは新しいリズムの解釈やいままでに無かった音色を曲に持ち込んだもので、それは常にメインストリームの中で発っせられている。コマーシャルなヒップホップに対抗して、「インディペンデント」の看板を掲げて、その安定感を売りにすればもてはやされる時代は終わったし、なにより「リズムの解釈」という点において今のアンダーグラウンドヒップホップには何のアイデアもない。

アンダーグラウンドヒップホップを聴くときは、いつだって「メインストリームへのカウンターの音楽」として作品に接してきた。だからこそ、メインストリームでは生まれ得ないEl-PやLab Waste、MuallemやNobodyが持つような「逸脱したクリエイティビティ」に注目してきたのだけども、果たして彼らの持つクリエイティビティはメインストリームへのカウンターとして機能するものだったのだろうかと疑問に思うようになってきた。重戦車のように圧倒的な存在感を持って突き進むメインストリームヒップホップに竹槍のようなクリエイティビティの切っ先をいくら突き刺したところで何のカウンターか。いや、そもそも今のアンダーグラウンドはメインストリームの何にカウンターしているのかもわからない。

「(hueは)ビートやリズムに対して無自覚/無知だった僕らの劣等感から出発している」

hueレーベルに深い関わりがある一本道ノボル氏の発言。もしかしたら、流行のヒップホップの持つ「面白さ」とは全く無縁のナードラップに惹かれてしまう理由は、ナードラップこそがいまのメインストリームのカウンターになっているからだと明確に言い切れるからかもしれないと気付いた。hueの発信するアーティスト達は、先鋭的で、スリリングで、面白くて、しかも完成度の高いメインストリームヒップホップの完全に対極に位置しているけども、それでもそれは紛れも無く「ヒップホップ」と呼ばれるもので、彼の言う「リズムに重点を置かないでヒップホップを再構築する」という一点において真にメインストリームのカウンターといえる。

結局、リズムやビートを基礎として成り立ち、だからこそリズムの解釈やビートの鳴りを重視するヒップホップに対して「音楽的なリリシズム」を吹き込もうとする行為そのものに「矛盾の魅力」を感じてやまないのだ。彼らが鳴らす清廉なメロディやその特殊性だけに着目するのではなく、その行為の「野蛮さ」にこそ先ず気付くべきだったと誰にともなく反省してしまった。

Sunday, February 03, 2008

らっぷびと






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近所の洋食屋にひさびさに昼ごはんを食べに行ったら、メニューにチャーハンが増えていて思わず白目を剥いた。店主の味覚ではこのチャーハンは洋食的な位置づけなのだろうか? それならなぜギョーザやラーメンが無い? などと、いろいろ考えていたら食後に出されたサービスのコーヒーが冷めていた。チャーハンにもこのランチサービス・コーヒーは付くのだろうか? 今日は眠れそうにない。

WEBマガジン、THE SOURCE JAPAN ONLINEが閉鎖した。まぁそのこと自体には別に何の感慨も無い。多くの人に有用なものが残り、無用なものがなくなる、それだけのこと。潰れゆくレコード屋の件も同様で、レコード屋が潰れていくことに対して何か物言いをするまえに、デスクトップ上にあるMP3ファイルを全て削除して、i-PODを海に沈めて、CDを空に投げた後、全てをレコードに換えれば多くの店が救われる。

話がそれたけども、SOURCE JAPANやAMEBREAKなど、どのWEBマガジンにも大抵存在する「リンク」というもの、これが個人的には本日見た洋食屋のメニューくらいにどうしてもシックリこない。おそらくはユーザへの親切心から何も考えずにアーティストのブログへリンクを貼っているだけなのだろうけども、このリンクに加われる条件って何なのだろう。もしかして「売れていないラッパーは入れません」とか「シーンに属さないラッパーは入れません」とかの条件があるのだろうか。ヒップホップシーンを盛り上げよう! という意図でのWEBマガジンなのか何なのかは知らないけども、盛り上げる前に自分で村の囲いを作ってどうする。この世にはチャーハンが洋食として扱われる店もあるのだ。

この前の対談で、Boss the MCが「ドラマ」を作るのが上手いという話があったけども、今まで話題になった作品は大体その後ろに「ドラマ」があることに気付いた。"証言"然り、Buddha帰国然り、Big Joeの投獄然り、Ill Slangの全国一周然り。中にはショボい物語もあるけども、ある程度のドラマがリスナーに共有されることでヒットが生まれるという見事なこの方程式を見つけた自分を誉めてあげたい。(そういった意味では、Bossが2ndアルバムを作る前に世界へ旅をしに行ったのは必然の行為だったのかもしれない…)そしてこの私の勘が正しければ、わざわざネタ作りの為にニューヨークのゲットーに苦行のようなラッパー修行をしに行ったYing Yangこそがそのドラマの力で「売れる番」だと予想できそうな気もしないではない。

ニコニコ動画にてアニソン上でラップするらっぷびとは、別名義でも曲を作っている。「尊敬する人」をRhymesterとして、「夢」を「Rhymesterと同じステージに立つこと」とする割には、laica breezeを彷彿とさせるラップスタイルと、そのJ-RAP的な曲の嗜好が妙味なのだけども、更にはインターネットを使って人脈を広げ、PC上でマイクリレーをしていくというその次世代思考が、インターネットで全米~カナダを通じてアンダーグランドヒップホップシーンを築き上げたAnticonを髣髴とさせた。そういった意味で、「自分たちはヒップホップ素人だ」という嫉みや僻みを入れながらインターネットの可能性だけをひたすら賛美する別名義曲の客演ラッパーたちのくだりが素晴らしい。

「これが俺たちのビギナーズラップ ユノウ? 聞いてこなかったビギーや2パック
有能無能集まる烏合の衆 玉石混合 そっからスタート」

「有機栽培ラップ土臭ェ 外じゃヘタレ ウェブ内 内弁慶
うち出ねェがまたマイク掴む リプリゼント送るアット自宅自室」

「"現場"以外の"本場"なんてのは存在次第
こいつは"ネットラップ進化論"と題したい
達したい次の開かれたステージ WWW.netイッツイットイージー!」

アニメ~ゲームの音の上で、ラップをのっけていくその姿はマッシュアップ的なイリーガルさも含めてニコニコ動画にこそ相応しいが、そこに流れるコメの応援やらツッコミを眺めていると、彼のスゴさはアニメやゲームが持つ「ドラマ」を韻などのテクニカルな面を押さえつつ、リリックに落とし込めているところにあるとも言える。アニメやゲームの物語が展開されたラップへ大勢のリスナーが共感している様子に、インターネットの可能性の他に、「物語/ドラマを作る」ということに対するもう一つの可能性が見えてくるのだ。

インターネットの可能性とアニソンラップの可能性、そして日本語ラップとJ-RAPを横断するスタイルと嗜好、その全てにおいて今までの価値観から大きく外れたらっぷびとは、中華料理屋になってしまうかもしれないウチの近所の洋食屋以上には「これから先」への期待がもてる。

Friday, January 04, 2008

2007 juked and observed

□ 2007年 定点観測15
ベスト的側面と観測的側面をあわせもった万能リスト



El-P
"I'll Sleep When You're Dead"

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「あらゆるジャンルの音楽を自分流に咀嚼して吐き出す」という面で、M.I.A.やTTCと同じ方面にいるはずの人だけども、「我」の強さにおいては他の追随を一切許さずはばたいているので、結果的に誰もいない座標に独りポツンと位置していた。とことん煮詰められた作品の核に「ミドルスクールヒップホップ」が根強く鼓動を打っていることを確認できるだけでもヒップホップファンに大きな安心感を与えてくれそうだけども、反面、模倣すら困難なこの作風には誰もついていくことはできないだろうという不安な気持ちにもさせてくれる。おそらく、この先にも後にもEl-P以外誰もいない。究極のオリジナリティ一点突破作品。




Burial
"Untrue"

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グリッチ・ノイズを嫌い、エレクトロニカは全てゴミだと言い切る。Basic ChannelもPoleもUK的なヴァイブスがないからというだけで嫌う排他的で視野狭窄なUK至上主義者の音楽がなぜこうも支持される。雨の音、ライターの音から、ヴィン・ディーゼルの映画、メタルギアソリッドで銃弾がコンクリートに当たる音などなどをシーケンサーも使わずに波形で貼り付けていく。インターネットも特にはせず、自分の生活圏に入ってこない音は一切自分の音楽に取り入れない。純粋にイギリス的な音楽の意思を亡霊のように紡ぐ行為が雑食的な音楽が当たり前な世の中で気高く映る。




soso
"Tinfoil on the Windows"

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去年聴いたカナディアンナードラップはそのルーツを辿ることができなくなるくらい異形に進化していてどれも大変面白かった。しかし、確かに面白いことは面白いのだけども、もはや異形すぎていまやその聴き手の顔が一切わからないというなんともいえない不気味なオーラをも身に纏っていた。そんな中、「静かな狂気」という言葉が似合う前作"Tenth Street and Clarence"の「到達点」を軽々しく突き破り、その世界を塗り固め続けているsosoの孤高で高潔な姿勢を見て、畏れと恐れを抱かないはずがない。彼の音楽の先に広がるのは異界、聴き手の正体は不明。これはまさしく「ホラー」だ。




UGK
"Underground Kingz"

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[UGK濃密度UGK]




M.I.A.
"Kala"

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「使い捨てで、海賊版的で、移民的。」というM.I.A.の言葉以上にこの作品をうまく言い表せるスキルがないのが残念でしょうがありません。00年代のヒロインはこれから先も辺境に立ち上る音楽を貪り喰い、自己破壊と自己再生を繰り返すことでしょう。そのサマはまるでインフルエンザのウイルスのようでもありますが、辺境音楽をポップに昇華してリスナーに感染させるという意味においては言い得て妙かもしれません。




Prefuse 73
"Preparations"

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TTCにしても、Jay-Zにしても、El-Pにしても、このPrefuse 73にしても、サイトが出来た当初からずっと何かを書き続けている気がする。要は、時間の流れと共に音楽の主流が変わり、ヒップホップも相応に変化しつづけているけども、これらのアーティストの作品の「軸」は全くブレていないのだろう。うわべの音楽(器)やそのムードやリリック(中味)が時流に合わせていかように変化しようとも、自分自身の「音楽観」と何の為に音楽を作っているかという「目的意識」がブレていなければ、聴き手に対してファーストインパクトをずっと維持して与えつづけられるということなのかもしれない。振り返ってみれば"Vocal Studies + Uprock Narratives"からだいぶ遠いところにたどり着いた感もあるけども、その「軸」はブレずに更に先の道へ続いていることが感じ取れるはず。たとえその道が「ヒップホップ」から離れているように見えたとしても。




Jay-Z
"American Gangster"

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ハイパーセレブビューティフルプレイヤースーパースター。ヒップホップにまつわるある種のプロップスは「ストリートたりえる」ことで手に入れられることに気付いたJay-ZとNasはその後競い合うように「ストリートっぽさ」を加味したアルバムをリリースするようになりました。しかしともすれば、「ただタイトなだけ」の退屈な作品になってしまうところへ忘れずに煌びやかな装飾を施すこのサービス精神とバランス感覚はやはり一流のわざと言えましょう。このダウンロード時代にあって、身の回りに転がっている曲を詰め合わせて出来合いのアルバムを作るのではなく、ごく短期間で一貫した作品コンセプトを明確に打ち立てて、良曲をピックアップし、曲数を含めてコントロール出来ているのは、彼のアルバムを「作品」として聴くリスナーの姿がきちんと見えている証拠であり、すなわちJay-Zこそが正真正銘のヒップホップクリエイターだということの証明でもあるのです。




Kanye West
"Graduation"

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往々にして人は何かを得るためには別の何かを捨てなければならないケースがままある。両方とも救ってみせる! という幼稚な態度は少年漫画の主人公にのみ許された特権だけれど、エゴが肥大化した今のカニエ先生のスーパースターぶりは少年漫画の主人公などとっくに凌駕しているので平気で全てを救ってしまう。どさくさに紛れてNas, KRS-One, Rakimとともに"Classic"に参加し、Commonのアルバムの大部分を荷うヒップホップの良心としてのポジション、50とバトルして一週間に90万枚を売り上げる商業ヒップホップのど真ん中を背負うポジション、myspaceや海外のブログで大人気のKid Sisterのシングルにめざとく参加してしまう(というかFool's Goldのオーナーが自分のバックDJだ)新しいもの好きなミーハーさ。どう考えても矛盾した八方美人的な立ち振る舞いを捨てる気はさらさらないどころか、どのポジションの人にもアピールできるエクレクティックな音を提示してしまうので、アルバム一枚延々と「俺はすごい」としか言っていなくとも、たしかにすごいよと誰しもが納得してしまうのだろう。




TTC
"3615 TTC"

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よく考えたらメンバー6人中4人もトラックを作れるという時点で何かがおかしい。ATKやKlub Des Loosersからメンバーが電撃移籍! とかメタルバンドじゃあるまいし。




Durrty Goodz
"Axiom"

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そもそもグライムの美しさとは何の音楽的バックグラウンドもないティーネイジャーが人生の中でわずか数ヶ月だけ熱心に音楽を作ってはやめていく儚さの中のエネルギーの発露にあるわけで、クレジットもあやふやな音楽がMP3として霧散していくアートフォームに「音楽的完成度」は無縁のものだった。だからこそ、今日までまともにCDとして作品化されたものに名作はほとんどなく、あったとしてもWileyやSkeptaのように失くしたグライムの歪さをUSヒップホップで補ったものか、JMEのようにイギリス的な作風を突き詰めたものしかなかったわけだけれど、古参のDurrty Goodzはこの作品でその狂乱のイメージを失わずパッケージング化することに初めて成功したと言っていい。Afterlifeの喧騒的なライミング、Rubberoomの突き刺すようなフューチャリスティックさ、Ward 21の強迫的でマッドなリズム、20世紀末~21世紀初頭の精神錯乱した宿痾の妄想から生まれ落ちたアンダーグラウンドのクリエイティビティーは何処かへ消えてしまったかのように見えたが、まったく関係のない文脈の此処で確認することができる。




Federation
"It's Whateva"

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一昨年の"18 Dummy"はジャンルに振るい落とすなら確実にSpank Rockと同じ枠にぶち込まれること必至の西海岸一しょうもない音楽を作っているFederation。これでも西海岸のギャングスタラップは大して聴いてなくて、Heltah Skeltahなどの東海岸のリアルヒップホップに入れ込んで育ったと言う。音だけでなくメンタリティもDiplo周辺の人たちと同じでブーンバップでコンシャスなものに限界を感じてしょうもないことをやっているのか? と一瞬疑いたくもなるが、「俺は半猿半哺乳類!」とか叫んでるので素で頭が悪いだけに違いない。




South Rakkas Crew
"Mix Up"

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ニューレイヴという言葉もなんだか懐かしい気もするがそんな言葉ができる昔からそんな音を作っていた人たちにはドフォーレ商会を無料で買収できるくらいの時代の風が来ている。




らっぷびと
"らっぷびととみくすびとの憂鬱"

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SOURCE JAPAN ONLINEにもいろいろ書いたけども、日本語ラップにおいて07年は「革新の年」という言葉がピッタリ合う。だから「新しさ」という観点で見ると、あらゆる作品がフレッシュに映るので、一概にどれが良かったかと選ぶのはなかなかに難しい。そんな中でも「突出している」と感じたものを敢えて選出すると「リアル」という言葉を一から考え直したくなるThug FamilyはTOPの"Street Tale"と、「汚らしい」という言葉こそ相応しい"JP State of Mind"に登場するFRGのラップスタイル、そしてこのらっぷびとだろう。
「アニソンの替えラップ」と言って一蹴してしまえばそれだけだけど、ニコニコ動画を介して延べ100万回以上再生されたり、「ヒップホップを聴いたことないけどラップをしてみた」という人が彼の後ろにぞろぞろ出てきたり、その影響力は本物。黎明期のヒップホップならびにマッシュアップのイリーガルな痛快感を、現代のヒップホップでは蔑まれ絶滅したHeartsdales~laica breeze的なスタイルで体現している倒錯感だけでも瞠目すべきだけども、加えてKick the Can Crewや韻踏合組合などを愛聴し日本語ラップ正当のライミングテクニックを理解しているという事実がこの作品に二重にも三重にもねじくれたラディカルさを与えている。それらを踏まえると、彼が集約して拡散させたモノの大きさというか、「日本語ラップの可能性の広がり」を感じずにはいられない。




MP2
"XXX-File"

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NOT USE P2Pの文句にどれほどの意味があるのかわからない限りなくイリーガルに近いリーガルミックス。違法なことをやっている奴が勝手に合法的に配ってるんだから俺は白だ! という拡大解釈した法律の隅を突くようなダーティーさに富んでいる。




Justice
"†"

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特にラップ向きの曲でもないのに、なぜか大勢がこぞって"D.A.N.C.E."でラップしたがっていた現象やKanyeやSwizzがDaft Punkをサンプリングした現象を見ると、フレンチエレクトロがヒップホップ界を席巻しているような錯覚を覚えるが、「Para Oneのことが好きだ」というラッパーの話は一切聞かないので、JusticeとDaft Punkの過去の曲を掘り起こすサンプリングアティテュードがヒップホップサイエンスからも理解しやすいというだけのことなのだろう。そう考えると、マイケル・ジャクソンの"P.Y.T."に捧げられた"D.A.N.C.E."と"P.Y.T."をサンプリングしたKanyeの"Good Life"のPVが両方ともJonas & FrançoisとSo-Meの仕事なのは必然というか、アーティスト側から音楽像をわかりやすく噛み砕いてくれているとも言えるのではないか。