Sunday, August 19, 2007

MINT - After School Makin' Love






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「"人のものを盗むのがヒップホップだ"という人もいれば、"自分で創造するのがヒップホップだ"という人もいる。ヒップホップとは何か?という議論には何の意味も無い」とSage Francisは言いました。つまり、物まねも、パクリも、創造も、ダサいことも、イキったことも、ポップも、ロックも、演歌も、鼻歌も、人の解釈によってなんでもヒップホップということです。「コレがヒップホップだ」なんて言葉は、きっとそれを発言した本人にしか通じないでしょう。残念ながらその主張には意味がありません。

「年々音楽の価値は下がっている」と一口で言ってしまえば、多くの人に違和感を与えるかもしれません。しかし現在、一曲はただの数MBのファイルにすぎず、地球の裏側の国の音楽を数秒でデスクトップに保存でき、好きなように編集・加工してまた世界に発信できてしまうのです。驚くほどの手軽さで。「"KALA"は使い捨てで、海賊版的で、移民的。」と可愛い可愛いM.I.Aは言いました。一つの曲を大切に聴きつづける姿勢を否定することは出来ません。だけども、ゴミ箱を漁るように曲を掘り起こして、どんどんどんどん曲を聴き捨てて、つまらなくなったら好きなように再加工すれば良いというアグレッシブで若者的な考え方に惹かれる自分がいることも確かなのです。たしかに発信者側にたてば「ずっと大事に作品に接してもらい」という想いを持つのも仕方が無いことと思うのですが、年にたくさんの曲を聴くコアなファンほどその要求は厳しいものと感じることでしょう。

最近、よく「"リアル"とは何か?」を考えます。5,6年前に私はblastの対談で「TWIGYの"余韻"はアメリカナイズされた"リアル"ヒップホップのアンチテーゼだ」というようなことを書きました。同じ対談で磯部涼氏が「TWIGYの"余韻"は南部ヒップホップから影響を受けている」ということを主張しました。見てわかるとおり両者の意見としては真逆なのですが、そのときは意見が特にぶつかることもなく、うやむやになって終わりました。キングギドラが売れに売れたり、過剰なセルフボースト物が横行していた当時の背景を踏まえて、いま振り返ると「TWIGYの"余韻"の手法は"南部ヒップホップ"、雰囲気は"自然体(リアル)"」というのがその対談の結論だったのではないかと思うのです。「ギャングスタラップを真剣に聴いているが、それをそのまま真似することはしない。ギャングスタたちが銃について歌うのと同じくらいの気持ちで、僕達はテレビゲームについて歌う。」とTeki Latexは言いました。もし言っていることがその人の妄想であっても、「ギャングスタと銃の距離感」をその曲の中で表現できているのであれば、それは「リアル」といえるものなのではないでしょうか。

さて、MINTの"After School Makin' Love"です。「南部ヒップホップ、ギャングスタラップのビートとラップの"間"を精緻に模倣している」というレビューは星の屑ほどありそうですが、むしろ南部ヒップホップを模倣したからこそMINTの「ヒップホップ観」が分かり易く、きっちりと顕れているところが重要なのです。

つまり、「MINTのヒップホップ」とはバカバカしさとエロチズムを孕んだ「快楽性」に集約され、そのためならば一部の人に否定されるであろう「アメリカナイズ」も、刹那的な音楽として「使い捨て」られることも厭わない度量を持っていること、「使い捨て」られた楽曲を再加工(スクリュー)して作品として再提示するフットワークを持っていること、質の高い「アメリカナイズ」のトラックとティーンエイジャーの娘の話で徹頭撤尾貫き通された確固たる「世界観」と変質的な「作品主義志向」を持っていることを確認できるのです。

ちらと聴いただけでこういったことをツラツラと確認できる。きっと"After School Makin' Love"は2007年の日本語ラップで最高の「完成度」を持ったアルバムと言えることでしょう。

また、設定とアートワークは高等学校時代にフォーカスを当てているのですが、リリックは極めて妄想的で、ティーンエイジャーの娘のことのみに執着しているため、全くモラトリアムに誘われないことも記しておきます。しかし変な妄想であれど、このMINTとティーンエイジャーの距離感こそがまさに日本語ラップで表現すべき「リアル」であると私は信じているわけなのです。

Sunday, July 22, 2007

Tacteel - Je Ne Vous Oublierai Pas & TTC - 3615 TTC





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エレクトロニカのレア盤"Butter For The Fat"からエレクトロディスコEP"La St Etienne"に、TTCの楽曲群からも選抜し、「ベスト盤」と銘打ってパッケージング化したTacteelの意向は良くわからないけども、めちゃめちゃスノッブで音楽の「中味」より新しい「器」の部分にしか興味が無いようなTacteelの意外にも一貫して構築された世界観と、そのメロディーセンスがCherryboy FunctionやDE DE MOUSEに極似であるというフランスと日本の音楽世界の奇妙な相関関係にビックリした。

ゆるゆるのエレクトロニカに聴こえる"Selective Approach"や"GUsh"が、同じエレクトロ音楽としてもかなり遠い位置にあるように見える"Feel It, Feel It"やTTCの"Ebisu Rendez Vous"と並べても全く違和感ないどころか、それらの共通項ばかりが強調されるのだ。5年前に"Butter For The Fat"を聴き、そこから勝手に連想した日本のヒップホップビーツに近い所にある音楽(Riow Arai、DJ Klock、Numb、Force of Nature...)をTacteelの来日時に渡して感想を求めたら、「こういうのは好きじゃない」と一蹴されたことを思い出す。この発言を頭の中で反芻しながらアルバムを聴くと、「Tacteelは同族嫌悪をする人だから、きっとCherryboy Functionのことも嫌いだろう」という思いともう一つ、Tacteelの世界にある「ヒップホップ」とはこのジャケ写に感じる「うさんくさいセレブ臭」のようなのものであり、きちんと「リスペクト」され、型通りまるまんまの形で消化されているものじゃないことを痛感する。Above the LawのトリビュートMixCDなどを作っていても私は騙されない。

一方、毎回カラーを変えてきて、しかもどこの国とのヒップホップとも似ているようでいて、似ているものが一切ないTTCの作品は、「天才的な変態」もしくは「変態的な天才」であるMr. Flashが作った楽曲群を抜いてしまえば、実にわかりやすい。"Ceci N'est Pas Un Disque"ではエレクトロニカに、The OpusやMF Doom的なアンダーグラウンドミドルビート。"Batards Sensibles"ではエレクトロに、米メインストリームビート。"3615 TTC"ではハイフィやボルチモア要素まで組み込んだギャングスタビート。99年作の"Game Over 99"のゲーム音楽・効果音ベースのヒップホップに、毎回彼等が「旬」と感じる音が加えられて、ゲームコントローラ的な気楽なお遊び感覚であさっての方向に捻じ曲がっているだけだ。

彼らと同じように「最新の音楽に興味がある」と答え、ヒップホップに色々な音楽要素を取り入れているトラックメイカーは色んな国にたくさんいるけども、こんなにバラエティが多彩なのにこれほど一貫した独特のオタク臭を放つアーティストもいない。TacteelやPara Oneのように出身ジャンルも異なる4、5人ものトラックメイカーが関わっているにも係らず、毎回一つのテーマカラーに綺麗に収まってしまう不思議にあわせて、今までのアルバムを並べると全てイントロ無しの12曲編成である不思議に気付き、その妙に変質的な潔癖さにムズムズしたのは私だけではないはず。

しかし、"Je Ne Vous Oublierai Pas"上ではTacteelの世界観で統一されている同じ曲が、TTCのアルバムの中にあると見事に捻じ曲がって聴こえるのは一体何故だ? 実はどんなトラックメイカーもリスナーも、この「TTC」という共同体に取り込まれてしまうと、音楽感性が8等身のオトナから皆同じ顔をしたSDガンダムのキャラみたいになってしまうのかもしれない。"Batards Sensibles"のジャケ写のように。

Saturday, July 14, 2007

'07 albums still holding up

□ 気にしておいて損は無い上半期10枚



El-P
"I'll Sleep When You're Dead"

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TTC
"3615 TTC"

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Teki Latex
"Party De Plaisir"

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Tacteel
"Je Ne Vous Oublierai Pas"

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Cherryboy Function
"Something Electronic"

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Dizzee Rascal
"Maths + English"

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Young Dot
"This Is the Beggining"

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Turf Talk
"West Coast Vaccine"

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Devin the Dude
"Waitin' to Inhale"

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イルリメ
"イルリメ・ア・ゴーゴー"

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MP2
"XXX-File"

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Wednesday, July 04, 2007

Hadouken! - That Boy That Girl






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3年前にLil Jonが「次のアルバムはクランク・ロックだぜ!」と言っていたときは、このおっさんはなにを言ってるんだ、と誰もが思ったことだろうが、今や見渡せばUSにはShop BoyzがいてブラジルからはBonde Do Role、日本にもイルリメ、曲単位でエッセンスとしてロックを入れているものもカウントすればDizzee RascalにTeki Latexと世界中のあらゆる方角からのかつてないロック攻め。どうしてこんなことになってるのかはよくわからないが、恐るべき先見の明である。

最終的にはアート的なところを落としどころとしてヒップホップを色々といじくっていたアンティコンや、そこから派生したナードラップが自身のルーツを自然に振舞うためにロックを取り入れたのに対し、なぜか06年以降にロックを取り入れたヒップホップは気軽な目新しさと快活なキャッチーさばかりを追い求める風潮に。これが流行るのはとても不可解だけども、この風潮にあってヒップホップマップの端の端の裏あたりにロックバンドの体裁を取りつつポツンと位置するHadouken!がこの流れに沿うのも極めて自然だと言える。

求められている空気感をピンポイントで読み取り、ロック×グライムという単純明快だが、ちょっと配合をミスると大失敗をやらかしそうな白人的文化搾取調合に果敢に挑戦。ヴォーカリストの旧名Dr. Venomのガラージ/グライムシーンにおけるトラックメイカーのキャリアを生かし、JMEのフロウをパクり、D'Explicitの音をパクり、奇跡の配合を完璧にこなした結果、なぜかニュー・レイヴだとかに括られ大成功。

しかし、そんな安い職人芸で作られたこの作品には、当然のように鬼気迫る生々しいグライムらしさはない。いまや商業的に成功して流通している「グライム」とは、このHadouken!であり、Dizzeeであり、Lady Sovereignであるけども、こういう「グライム」がラーメンの胡椒程度にしか使われていないカラフルな音楽の影で、バッドマンと呼ばれたいがためだけに人を刺す発砲する頭の悪いキッズで溢れるストリートへの置手紙"Playtime Is Over"を残し引退してしまうWileyの姿がチラリと脳裏を横切る。

Monday, June 11, 2007

RUMI - Hell Me WHY??







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何年か前に陣野俊史とかいうライター(最近みねーな)が「日本語ラップはそこらの不良ラッパーが作ったものより、Tha Blue Herbや降神のようなインテリチックな反骨精神を持ったアーティストが作ったものの方が優れている」などと小難しくのたまっていたけども、最近の日本語ラップは「そこらの不良ラッパー」が作ったものにこそリリックのセンスを感じるものが多く(ぶっちゃけすぎなのも多いけど、それはそれで楽しい)、更に「クルー」ではなく「ソロ」でアルバム一枚聴かせることが出来るほどのスキルを持った不良ラッパーが一杯いるので(これは一昔前では考えられないことだと思う)、日本語の「ラップ・アルバム」を聴くのがまた楽しくなってきた。

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単純にラップスキルだけで見れば、邦ラッパーがトップレベルの米ラッパーに敵うことは決して無いように、女性MCがスキルフルな男性MCに敵うことは決して無い、ということを洋・邦問わず最近の女性MCブームや前述のソロラッパーの充実っぷりの中でも再認識するのだけども、そのことを理解している一線級の女性MCが「ラップ・アルバム」のフィールドでは戦わず、音楽知識の引き出しを片っ端から空けて、「王道」を意図的に外した「プロダクションの妙」を聴かせる作品をつくりにいくのは至極真っ当な話だろう。

しかし、RUMIの"Hell Me WHY??"を聴くと、プロダクションの「幅」を意図的に広げているには違いないけども、スノッブなファンを喜ばせる為に無理やりに曲のバリエーションを増やしているというよりも、"Hell Me Tight"から「地つづき」の、彼女の音楽背景を引き伸ばしたつくりになっていて、非常に自分の趣味に忠実な「地に足の着いた」作品に見えたので、プロダクション云々の話とはまた違った点で好感が持てた。

アブストラクトに、ドラムンベースに、エレクトロニカに、ダブステップの使用は"Hell Me Tight"の嗜好と何ら変わらず、「プロダクションの妙」や「新しい音」を作って聴かせているというよりは、おそらくRUMIが大好きな「hot wax系」の音を拡充した形となっている。どんよりした前作の欝っぽいムードから一転、音もラップもはっちゃけまくりの躁状態にふれている感じだけども、意外とピンポイントに前作のファンをそのまま惹きつけているに違いない、と思えるのは案外この「音楽性」がベースにあるからかもしれない。(そういえば、昔hot waxにRUMIの"蛹"が置いてあったな…。)

リリックも、他の国でおこっている戦争を憂いたり、未婚女性の鬱病的生活を描いた"Hell Me Tight"のオバハン臭い視点を10歳くらい若返らせた内容で、「もうこの世はおしまい~だッ。」と突然なげやりに叫んで資産家を罵ってみたり、医者との合コンバトルに必死になったり、所持金が小2以下でテンパったりしている娘のサマが恥らい無く描かれ、この辺も同世代として非常に共感できる。

一見前作からガラリと印象を変えてきたように見えて、実は前作のベースそのままに「素」に近くなった本作では、リスナーとRUMIの距離感が縮まった分、「プロダクションの幅」でリスナーを増やしているというよりは、前作からのリスナーをより惹きつけることの方に成功していると言えるのではないか。