Wednesday, July 03, 2013

KID FRESINO - Horseman's Scheme


KID FRESINOの『Horseman's Scheme』が好きでずっと聴いている。ビートとラップの素晴らしいハマり具合には楽曲の大半のビートを手掛けているjjjの勢いとillicit tsuboiのエンジニアリングの手腕を感じさせるけども、なんといってもこのアルバムの良さはKID FRESINOの生意気なカッコ良さにある。

彼のラップスタイルは、“流れるようなフロウ”というより、”リスナーへ語りかけるようなリズミカルなラップ”と形容したほうがよいだろう。滑舌、間の取り方、緩いbpmにあわせる言葉の置き方……一つ一つの言葉を聴き取り易くて、リスナーに詞を伝える面では理想的なラップなのだけども、そのリリックの内容はリスナーにKID FRESINOの物語(ストーリー)や彼が抱える問題を提示するようなものでは無いところが面白い。ルー語のように英語と日本語がチャンポンされたリリックで語られるテーマは、”俺のラップは如何にカッコいいか”というようなセルフボーストの一点。


「You bark &watch you die
 puffin pocket roll up
 本物だけがこのgameに残るなら
 2014年は俺が生んだwordだけで埋まるな
 Horsemans schemin shitはFlag落とす bowgun
 Miss america rap Themeもう既にIm done」 
 (KID FRESINO "Horseman's Scheme")

「Just take it 俺はすぐそこにいる
 World wide tokaidopeness check rigght?
 まぁこれで業界の足も固まる
 過ぎるブームに踊るfuckin bitchならpass
 限界はとっくに越えたこれが新たなmusicの扉
 即効take&over across the street trip everywhere
 women in the mirror Uknow
 閉じこもったgirlsもノブを捻るniceなrapのskillを持つkiller meets buda」
 (KID FRESINO "New Clear Weapon")

<参考>
 http://www.dogearrecordsxxxxxxxx.com/artists/kid-fresino/horseman-s-scheme-lyrics/


“己のラップのカッコ良さ”を巧みな詞で表現して見栄を切る。それが成功したとき、ラッパーの魅力はリスナーへ効果的にうつる。


「試行錯誤繰り返し生き残るサバイバル オレにとってオレ最大
 宿命のライバル 一冊のライムブック 必殺のバイブル
 握る赤目スコープ越し狙い定めるライフル カートリッジには今10発
 まず2発射ち放ち両足を止め 残り7発
 取り囲むザコを仕留め 1発で勝利の女神始末
 いいか オレは能ある鷹の頭上 遥か彼方高く飛ぶ野望ある鷹」
 (THA BLUE HERB "RAGING BULL")

「一流のファインダー 見透かす二流のフレーズ 三流の売奴のケツ目もくれず
 ガス切れのライター、親指で毎晩こすり上げとぎ上げたペン先は刃
 オレはミラーボールの前に居座る、消えたきりの電球にひかれる男
 焼きつける視界に入ったら最後眠らない残像が日本中を眠らせない」
 (THA BLUE HERB "BOSSIZM")



上に挙げたリリックはTHA BLUE HERBのものだが、リスナーへ”見栄を切る”セルフボースト物として、KID FRESINOのリリックと本質的には同じもののように受け取ることができる。しかし、THA BLUE HERBとKID FRESINOが異なるのは、先にも書いた通り『Horseman's Scheme』の楽曲はセルフボースト物だけで貫かれているところだ。

捻りのある詞をつむぐ"リリシスト"として名高いBOSS THE MCではあるけども、このブログでも度々取り上げてきたとおり、彼にとって”ライフストーリー”こそが楽曲を通して届ける主のテーマであって、彼の詞のセルフボースト的な部分はそのテーマをより際立たせるためのスパイスだ。翻って、KID FRESINOのラップの主のテーマはあくまでセルフボーストであって、そこで”ライフストーリー”は語られない。

思い返せば、SEEDAやSWANKY SWIPEなどのハスリングラップを経由して、2009年当時S.L.A.C.Kの『MY SPACE』がとても新鮮に聴こえたのは、スケートにいったり、彼女と一緒にいることを楽しむような自分の周囲10m程度の出来事をラップしていたようなところだけど、それはS.L.A.C.Kの”ライフストーリー(人生)”ではなくて、”ライフスタイル(生活の営み方)”をリスナーに提示できていたからだったのかもしれない。一人の男の"ライフストーリー"という重たいものではなくて、日々の物事を割り切りながら生活のなかに楽しみを見い出していく軽やかな”ライフスタイル”をラップするS.L.A.C.Kがリスナーにとってクールな存在に見えていたのではないだろうか。

そんなクールなS.L.A.C.Kのラップと比較してみても、「どんな生活を送って、日々どんなことを考えているのか」すら読み取ることが難しいKID FRESINOのラップは、もはや”ライフスタイル”からも切り離されて”スタイル”だけが残ったもののように感じられる。しかし、かつて様々なラッパーが放ったセルフボースト曲に高揚して共感したリスナーがいたように、KID FRESINOの一貫したクソ生意気な”スタイル”にフィールするリスナーもいるだろう。”ライフストーリー”も語らず、”ライフスタイル”も見せず、一貫したスタイルだけでリスナーを引っ張っていく。セルフボーストへの回帰という点ではさんピン世代のラップへの先祖返りのように思えるかもしれないけども、英語と日本語が入り混じりながら幽かに情景が描写されるリリックには確実にTHA BLUE HERBからSWAGまで行き着くジャパニーズヒップホップの流れとセンスが息づいている。聴き易いKID FRESINOのラップは、彼のスタイルを鮮烈なインパクトと共にリスナーに残す。

Saturday, January 19, 2013

RHYMESTER "The Choice Is Yours"の先にあるsoakubeats『Never Pay 4 Music』とtrinitytiny1『log!cmushroom』と"1リスナー1アーティスト1レーベル"の時代について


RHYMESTER "The Choice Is Yours"

衆議院議員選挙にタイミングをあわせて公開されたRHYMESTERの"The Choice Is Yours"は、震災でダメージを受けた日本を復興していくためにはひとりひとりの行動が必要だという「やるのは君だ!」をテーマにした至極真っ当なメッセージソングだった。

おそらくは多くのリスナーがこの真っ当なメッセージソングをポリティカルな意味を持つラップ曲だと捉えるのだろうけども、ネットを中心に音楽シーンを追っているリスナーが聴くとそういう政治的な面とはまた別の意味にも聴いて取れるのではないだろうか。つまり、かつてRHMESTERがうたっていた「どんなアマチュアでもラップは作れる」という"ザ・グレート・アマチュアリズム"をもっと先に進めた「オマエひとりでなんでも出来る」というようなポジティブなアマチュア賞賛ソングのように。

ONE YEAR WAR MUSIC、DREAM BOY、鎖グループ、BULL MOOSE、BLACK SWAN、How Low、rev3.11、あるいはCREATIVE PLATFORMも含めて良いかもしれない。2011年末から2012年にかけて続々と日本のヒップホップレーベルが立ち上がって、いろんなレーベルから若手ラッパーからベテランラッパーまで、さまざまな楽曲がリリースされた。これらのレーベルはアーティストが起こしたものもあれば、プロモーターのようなフィクサーがつくったものもあるし、企業が資本を流しているものもあれば、自分たちの身銭を切って切り盛りしているものがあるけど、そんな中でごく少数の人数だけで音楽の制作から広告、流通までをカバーして機能しているレーベルも多いだろう。

2010年に刊行された「未来型サバイバル音楽論」で著者のひとりである牧村憲一は"一人1レーベル"という言葉を使って、音楽を制作するには昔ほどの資金、人材、営業力、プレス工場はいらなくなった、ということを書いていた(ちなみに、彼はレーベルを運営するには身近で批評してくれたり、拍手してくれる人は必要と言い最低2人で運営することをすすめている)が、2011年から2012年にかけてフリーでの楽曲リリースが増えていったことからもわかるように、"ただ音楽を作ってリリースする"ということだけを考えるならば、YouTubeやSoundCloudなどでアーティストが1人で音楽をつくってリスナーに届けることが普通になった現在こそ"一人1レーベル"の時代と言い切ってしまえる。

2012年で、こういった"一人1レーベル"の時代を象徴するエポックメイキングな作品と言えばsoakubeatsとtrinitytinyがドロップした作品、『Never Pay 4 Music』と『log​!​cmushroom』。これらは"一人1レーベル"の時代をもっと推し進めた"1リスナー1アーティスト1レーベル"の時代をあらわしている。

soakubeats 『Never Pay 4 Music』

trinitytiny1 『log​!​cmushroom』

この2つのどちらもがビートメイカーのアルバムで、どちらのアーティストもトラックを作り始めてからまだ2年くらいしか経っていないというところが共通している。彼らはほんの2年前まではリスナーとして音楽を享受する立場だったけども、例えばsoakubeatsはGRIMEやROAD RAP、LEX LUGERのビートを聴いたことをキッカケにトラックを作り始めたという。

soakubeatsも、trinitytiny1も、彼らがリスナーとして流行りの音楽を追っていくなかで、他の日本人トラックメイカーがまだ発見できていなかったり、クリエイトできていないものにフォーカスをあてて楽曲を作っているという点で、いま現時点で他のどんなプロのトラックメイカーとも違う新しい音楽の"面白さ"や"独創性"を掘り起こしているカッティングエッジに立つクリエイターだと言っても差支えないだろう。LEX LUGERプロダクションのビート、TRAP、FOOTWORK、GRIMEなど、いろんな音楽を独自に翻訳した彼らのビートを聴けば、その独特さに耳を奪われるはずだ。リスナー/愛好家がその音楽が持つ先端の面白さを、アーティストに立場を変えて翻訳/発表をしているという構図は、"インターネット時代"よりもずっと昔から一般的なものだけども、インターネットで新陳代謝が激しくなり、様々なベクトルを持つ楽曲がタコ壺のように細分化されて出てくるなかで、その最先端のものを追い続けることができるのは"プロ"、"アマチュア"は関係なく鋭い嗅覚をもつリスナーに他ならない。だとすると、いま一番独創的で面白い楽曲を生み出すことができるのはマニアックに音楽を追い続けるリスナーだろう。

さらにこれらの作品にはゲストラッパーがフィーチャリングされたり、エンジニアが起用されたりしているけども、Twitterが制作のためのツールになっていることも見逃せない。Twitterでファンとアーティストの垣根がなくなったと言われて久しいが、"1リスナー1アーティスト1レーベル"の時代には敷居が低く他のアーティスト、エンジニア、クリエイターと繋がってモノづくりができるコミュニケーションツールは必要不可欠だし(実際、trinitytiny1はタイに住みながら、日本のラッパーと繋がって楽曲制作している)、もし、ラッパーやエンジニア、トラックメイカー、ジャケットを作ってくれるデザイナーなどに支払うお金が必要なのであれば、bandcampやiTunesで"楽曲を売る"のだって簡単だ。CDにしたって10年前よりずっと安く制作することができる。soakubeatsとtrinitytiny1は、ひとりのリスナーが制作者になって、プロモーターになって、商品をマネジメントする"1リスナー1アーティスト1レーベル"を体現する。

RHYMESTERがスピットする「やるのは君だ!」というメッセージは、リスナーとアーティスト、そしてレーベルまで垣根がなくなった、soakubeatsとtrinitytiny1みたいなアーティストがいる音楽シーンから聴くとまた違った説得力がある。これからきっとどんどん"1リスナー1アーティスト1レーベル"化が進む。10年後にはもしかしたら"島宇宙"なんてものじゃ収まらない、音楽シーンは1人1ジャンル(言い過ぎか)まで細分化されるかもしれない。

Friday, January 04, 2013

2012best ~ やる気のないコメント入り

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・Kendrick Lamar / Good Kid, M.A.A.D City
・Schoolboy Q / Habits & Contradictions
・Joey Bada$$ / 1999
・SpaceGhostPurrp / Mysterious Phonk
・Future / Pluto
・Chief Keef / Finally Rich
・Iamsu! / Kilt
・TREE / Sunday School
・Ty Dolla $ign / Beach Hou$e
・TNGHT / EP

2012年はKendrick Lamar『Good Kid, M.A.A.D City』、Schoolboy Q『Habits & Contradictions』、Ab-Soul『Control System』とBlack Hippyの活躍が目についた年でした。

クラウドラップ方面にもリーチした2011年リリースの『Section.80』の話題も冷めやらないなか、ケンドリックのストリートライフから彼の思想を反映させた『Good Kid, M.A.A.D City』が名実共に2012年の顔となるべき作品なのではないでしょうか。彼のストラグルライフがいかに巧みにアルバムに描かれているかはYAPPARI HIPHOPに秀逸なまとめがあるのでこちらへ

LAを拠点としたギャングスタラップの延長にあるBlack Hippy勢の楽曲が非常にクラシカルな方向に落ち着いていることにもあらわれているとおり、サウンド面で聴かせるよりはイーストコーストマナーに則ったオーセンティックで"ラップを聴かせる"ヒップホップに揺り戻っている印象を残しました。

そして、90年代~00年代のアンダーグラウンドヒップホップ回帰という面では、Reflection Eternalの新作だと偽っても違和感がなさそうなRoc Marciano『Reloaded』や17歳注目株Joey Bada$$の『1999』が象徴的。『REV MAG vol.2』の"ヒップホップ時評"では、パープが自分の生まれた年まで遡って影響を受けたのであろうラッパー/プロデューサのタイトルに関する言及がありますが、Lewis ParkerFreddie Joachimといったマニアックにも程があるビートジャックから垣間見れるJoey Bada$$の原点回帰の視点はSpaceGhostPurrpのソレとまったく同じものだと言えるでしょう。

つまり、記事の言葉を拝借すると"リアルタイムで聴いたからどうこうだとか、当時の評価がどうこうではなく、例えば、リリースから10年後に初めて聴いても、イイと思ったものは、”一般的な”(コレもまた曖昧ではあるけれど)評価なんてまったく関係なく、イイわけだし、そこから強い刺激やインスピレーションを受けることがあることを、自分の音楽を通じて正直に打ち明けている"ということで、更に言えばリバイバルにはパープにしろジョーイにしろ彼ら"若いアーティスト"が過去の音源から受け取るインスピレーションが欠かせないものだと思います。また、この一連の流れで2013年にはアンダーグラウンドヒップホップに注目が戻る可能性も少なからずあるような気がします。

一方、Future『Pluto』、Chief Keef『Finally Rich』、2 Chainz『Based On A T.R.U. Story』あたりはそれまでミックステープで支持を集めていたラッパーのオフィシャルリリースとなっていますが、音が聴き易く整理されてそれまでの荒削りでDIYならではの生々しい迫力が失われているように感じられます。しかし、Chief Keefの『Finally Rich』にはプリミティブな音を詰め合わせて砂利道をゴリゴリ進んでいくようなそれまでのミックステープより一匙のフューチャリスティックなビートを絡めて立体的に組み合わせることで、Lil Durk、King Louieといった同郷の他のラッパー達の作品とは一線を画す独特な出来映えになっているし(それでも"Laughin' To The Bank"のセンスはよくわからないが)、Future『Pluto』もDungeon Family直系のプロダクションに擦り寄ることでサウス系ギャングスタラップのフレイヴァ漂わせつつもOutKastの作品群を髣髴とさせるような複雑さと優美さを備えたアルバムになりました。

2012Bestアルバムのリストではオフィシャルリリースが半数以上を占めますが、ミックステープにあったラッパーの魅力を損なわなずに1ステップ押し上げるようなメジャー方面のプロダクションが見れるようになってきたことが2012年のひとつの特色とも言えるかもしれません。

2013年へ飛躍を感じさせる新進気鋭のアーティストは前述したChief Keef、Joey Bada$$の他にはベイエリアからE-40やWiz Khalifaにもフィーチャーされたハイフィシーンの新人Iamsu! 『Kilt』、WeekndからDrakeに回帰したかのような歌物ミックステープをドロップしたTy Dolla $ign 『Beach Hou$e』、シカゴシーンからはプロデュースからラップまで器用にこなし土臭い"SOUL TRAP"なるものをクリエイトしているTREE 『Sunday School』を。

日本のヒップホップのベストはtogetterにコメント含めてまとめてもらったのでこちらから。それでは2013年も宜しくお願いします。

Wednesday, June 06, 2012

コンシャスラップの季節 ~2012年5月の2つの作品~

2012年は"コンシャスラップの季節"とでもいうか、3.11を意識した政治的なテーマの色が強い作品がいろいろと出ている(このブログでも取り上げたSALU、SNEEEZE、田我流なども含めて)けども、この手のトピックの扱い方1つでそのラッパーの本質があらわれてくるのが非常に興味深い。勿論、それはベテラン勢の作品にも同じことが言える。


■THA BLUE HERB - TOTAL







THA BLUE HERBが日本語ラップ史に名前を刻み、その後多くのラッパーに影響を与えた1stアルバム『Stilling, Still Dreaming』。このアルバムがこれほどまでに大きな作品になったのは、シーンの中心(東京)から遠く離れた地方(北海道)で活動することのフラストレーションが表現の力強さの源となって、THA BLUE HERBという無名な地方のグループが"東京のシーンに対峙して闘う姿"はリスナーへ共感を産むものになっていたからだろう。

しかし、『Stilling, Still Dreaming』がシーン内外で高い評価を受けて多くのリスナーに受け入れられていくにつれて、"認められないことへのフラストレーション"や"東京のシーンに対峙して闘う姿"をあらわすようなラップの色は薄れていき、その一方で濃く浮かび上がってきたのは"THA BLUE HERBが志向するヒップホップ/ラッパーの理想像"だった。楽曲の中身はその "理想像 "を追求していくTHA BLUE HERBの意気込みと、その"理想像"に近い自分達は優れた表現者だというセルフボースト、"理想像"に当てはまらないラッパー/作品は「異端だ」と言ってのけるような原理主義的な(BOSSの言葉で言い換えると、"シャドーボクシングをしている姿"が延々と映し出されているような)ものへと変わっていった。

その"シャドーボクシングをしている姿"が描かれていた2nd、3rdと比較してみると、この4枚目のアルバムとなる本作『TOTAL』は、非常にわかりやすく、共感しやすい内容になっている。ここでうたわれているのは、たとえば「時代の流れで音楽の売上げが落ち込んでいくなかで持つ覚悟」("LOST IN MUSIC BUSINESS")であり、「変わっていく周りの評価のなかで感じるフラストレーション」("MY LOVE TOWN")であり、「シーンで勝ち続けることの重圧や、周りに才能のあるラッパーが次々と出てくることに対する重圧を跳ね返そうとする意気込み」("EVRYDAY NEW DAWN"、"THE NORTH FACE"等々)だったりする。

この『TOTAL』の構図は、『Stilling, Still Dreaming』と近い。THA BLUE HERBは 『Stilling, Still Dreaming』でかつて彼らが立っていた"東京のシーンから遠く離れた地方"を、『TOTAL』で"音楽不況"や"才能のある若手が出てくるシーン"というステージに変えて、『TOTAL』のなかにいるBOSSを『Stilling, Still Dreaming』と同様に"リング(逆境)のなかで闘っている姿"へと仕立て上げる。

そして、3.11のトピックも本作では大きい意味を持つ。『TOTAL』では3.11のキーワードがところどころに散見される程度(3.11に関連するテーマをそのままうたったものは、先行シングル曲" HEADS UP "と特典曲 "NUCLEAR, DAWN "くらいで 、アルバム全体を覆うほどではない)だが、これらのキーワードがさらに本作にひねりを与えて、わかりやすいものにしている。

つまり、BOSSが3.11のキーワードをスピットしながら、自分自身の闘っている姿をそこに重ね合わせることで、"3.11以降の社会"は日本に生きる人間にとって闘って行かなければいけないステージであることを思い起こさせる。嫌な言い方をすると、"3.11以降の社会"をBOSSの"リング(逆境)"に置き換えているのだけど、日本が抱えている問題に対峙して"闘う姿"を示す『TOTAL』は、いまの世の中で"闘っている人"や"闘おうとしている人"、あるいは"フラストレーションを抱えている人"にも響くような、ともすれば『Stilling, Still Dreaming』以上の普遍性を持ってリスナーに共感されるポテンシャルを持つ作品だろう。

■D.O - The City Of Dogg






D.Oの4作目『The City Of Dogg』も同じく、3.11をキーにした特徴的な作品だった。

まず本作に触れる前に、前作『ネリル&JO』を振り返って聴いてみると、大麻取締法違反でD.Oと共につかまった鈴川真一(元力士・若麒麟)がゲストで登場してくるところだけでなく、牢屋のなかで恋人と手紙のやりとりを行う曲や、裁判のなかで抱えていた葛藤を表現した曲等々、D.Oの身に降り掛かったいざこざがアルバム全体のテーマに大きく影響を与えていることがわかる。 すなわち、あの事件がD.Oに突きつけた"世間の常識 "という、D.Oにはハマれない世の中のルールに対する違和感と、そんなルールより自分自身が正しいと思うことを貫こうとする姿勢がこのアルバムの軸になっている。


"I'm Back"

『ネリル&JO』で描かれているこれらのテーマが、ラッパーの持つ"シリアスさ"と"エンターテイメント性の高さ"を如実に顕すギャングスタラップというフォーマットを通して、いかに受け取ることができるかはele-kingに公開された磯部涼のレビューに的確にまとめられているが、やはり、1stアルバム『Just Hustlin' Now』から、事件により発売が中止された2ndアルバム『Just Ballin' Now』へと順に聴いていくと、雷の系譜のボースティングのなかでところどころ顔を見せる言葉("良い悪いはいつ誰が決めた?"、"誰がつくったか知らねぇマヌケなルール"というような)が「ネリル&JO」以降、特別な意味をもっているように聴こえてくる。きっと例の事件が起こる前から"世間の常識"と"自分自身の常識"の間に横たわっている溝は、D.Oにとってラップのテーマになるものだったのだろう。

"N-WAY"

"イラナイモノガオオスギル"

先の『ネリル&JO』のレビューが2011年3月11日に公開されているというのもどこか皮肉なものだけども、そもそも『ネリル&JO』のリリース時点では次に世に出てくるはずの作品は『Just Ballin' Now』のはずだった。しかし、3.11を経て発表された作品は『Just Ballin' Now』ではなく、EP『イキノビタカラヤルコトガアル』とアルバム『The City Of Dogg』だったことにはおそらく大きい意味がある。

『イキノビタカラヤルコトガアル』は"命がけでサバイブしている兄弟たちへ、未来ある子供たちへ、無責任な大人たちへ"のシャウトからはじまり、原発問題で苦しんでいる人たちへ視線をなげかけながらラップが続いていく。そして、それは↓の"イキノビタカラヤルコトガアル"のPVでも聴くことのできるフックのフレーズのように、D.Oの経験を重ねてラップされているものだからこそ、単なる3.11以降の社会へのメッセージソングではない、D.O独自のメッセージソングとして強い輝きを放つ。

"イキノビタカラヤルコトガアル"

続いてリリースされた『The City Of Dogg』でD.Oは『イキノビタカラヤルコトガアル』の"3.11以降の世界"のうえで更にトピックを広げ、ハスリングでサバイブしていく悪党のストリートライフをうたっていく。もちろん、そのラップの主軸は"自分自身の常識"以外は信じられなくなった世界と、その世界に対峙する悪党(ラッパー)の姿勢について。

「コミュニティに向けたラップは怒りなんかに満たされるはずはなく
ラッパーはそれを表現する必要がある
誰でもがそのラップのうえでラッパーのカードをチェックできるように
誰かがそいつの上にあるカードを引っ張りたいと思えば
いつでも示して証明できるようにしておくのが本物のラッパー」("BAD NEWS")

「支離滅裂の例え話 説明もできないバカな大臣 ウソばっかり言う大人たち あれは会議という名の茶番劇
イイ 悪い 間違い 正しい 騒ぎをおこすヤツはみんなおかしい だまってこのまま死んでほしい そう聞こえてきそうなお上の動き」("BAD NEWS")

「イカれてるのは世の中の方 よく見てみろよオレじゃないだろ?」("bye bye")

3.11以降に突きつけられた"世間の常識"の正体。それは、私腹を肥やそうとする人間の傲慢さ、それを野放しにしていた人間の無関心さ、罪や責任から逃れることに必死な人間の身勝手さ、正解が何かもわからない情報を垂流す人間の無責任さ、垂流される情報におどらされる人間の浅はかさ。悪党D.Oが自分のイリーガルな面をさらけ出してみせるのと同時に3.11で出てきた日本の問題をえぐり出してみせることは、悪党のレッテルの横の"世の中の常識"の底に潜む欺瞞をえぐり出してみせることと同義なのだ。

Saturday, May 05, 2012

ヒップホップの"地域性"の話 ~Chief Keefと田我流とUCK Japanese Gangstaと~

■Chief Keef "I Don't Like" & "Bang"

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download : "Back from the Dead", "Bang Mixtape"

同郷のよしみかKanye Westが"I Don't Like"をリミックスしたということで、一般的な認知度も高くなってきた2012年ベストハイプのChief Keef。とはいっても、Chief KeefはすでにYouTubeの楽曲が数ヶ月で100万再生を軽く超えるくらいのプロップスをティーンエイジャーを中心に獲得しているので、Kanyeにしてみれば単なるフックアップ以上の"見返り"も見込んでいそうな感じではある。

その"I Don't Like"が収録されている2ndミックステープ『Back From The Dead』だけでなく、1stミックステープ『Bang』からChief Keefはシカゴのティーンエイジャーから圧倒的な支持を受けていた。『Bang』のほとんどのビートを手がけたDJ KENNは山形県出身の日本人ビートメイカーで、2005年にニューヨークへ渡った後に、シカゴに流れ着きそこでChief Keefのオジさんに拾われた縁でChief Keefにビートを提供するようになったという逸話があり、しかも彼が手がけた楽曲のひとつ"Bang"が昨年に公開されてからこれまでに130万再生されてアメリカのキッズ達から注目をうけているという話は、ヒップホップでアメリカ人を納得させる日本のビートメイカーが出てきたという部分で日本のリスナーにとっても非常に興味をそそられるものに違いない。


"I Don't Like"


"Bang"

ただ、そのDJ KENNのビートも、『Back From The Dead』のYoung Chopのビートも巷にあふれかえる"Lex Lugerコピーのビート"と安易にくくってしまうことができるところが、彼らの作風を取り立てて評価するのが難しい部分でもある。Lex Lugerコピーの延長にある作風であればGunplayやFat TrelのほうがChief Keefより優れているという意見も多いだろうし、果たして、Chief KeefはWaka Flockaのようにオリジナルな存在なのか?Odd FutureやA$AP Rockyのように大金を獲得できるのか?

しかもビートだけの話でなく、Chief Keefのラップも単調なギャング物なので、なかなかにChief Keefというラッパーの"秀でた部分"を見つけ出すことは難しい。しかし、それでもあえて言えば彼のクリエイトする楽曲の"ミニマルな部分"にあるのではないかと思う。Lex Lugerコピーのビートの中にも見え隠れするシカゴフットワークの断片と、Lil DurkやKing Louieといった周辺の端整なラッパーと比較してみても、ひときわ枯れて平坦で単調に推移していくラップが、どの曲でも同じように何度も何度も繰り返されることで、高い中毒性を生み出す。


RP Boo "Off Da Hook"


DJ Rashad "Reverb"

ミニマルなビートとラップが中毒性の高い世界を作り出すというところで、やはりWaka Flockaを彷彿とさせる存在ではあるけども、Rich KidzやTravis PorterといったATLの10代のラッパーと比較すると、Chief Keefの殺伐とした空気感は独特だ。この若いギャングスタラッパーが持つ閉塞感はシカゴハウスやフットワーク、The OPUSやRubber Roomのソレとも非常に似通っているけども、果たしてシカゴという地域が醸し出すものなのだろうか…。


Rubbe Room "Acid"


The Opus "Road Seldom Traveled"

■ 田我流 『B級映画のように2』


ここで、話を日本のヒップホップに移す。

2011年に公開され、一部の映画ファンからの評価も高かった映画『サウダーヂ』(監督:富田克也)に準主役として登場していた田我流の2ndアルバムがこの4月にリリースされた。『CDジャーナル』の2012年5月号インタビューでは「謎を多くしているんですよ。変なスキット入れたり。その謎について考えてもらいたい」ということらしく、このアルバムの『B級映画のように2』のタイトル名にも意味はあるが、それはリスナーの想像にまかせているようだ。ただ、『サウダーヂ』で富田克也監督との仕事を通して「今までと曲の書き方が180度くらい変わ」ったという発言や、そのアルバムの題名を見ただけでも、映画がこの作品に落とした影響の大きさを窺い知れることができるし、実際に『サウダーヂ』を観たリスナーにしてみると、彼が"ロンリー"や"Resurrection"で見せる鬱屈は、そのまま天野猛(田我流の役名)が甲府のシャッター街の生活のなかで抱えているもののように、より視覚的なリアリティをもって聴くことができるはずだ。


"Resurrection"

"STRAIGHT OUTTA 138"でのECDとの共演曲などで、この作品が3.11以降の世界に住む人間が抱えた怒りも表現しているところもポイントだ。Amebreakのインタビューでは、「"個"と"社会"、"自分"と"世間"って同じだ」という発言もあるけども、田我流本人が抱える鬱屈が、3.11以降の国家や政治に対する不満や怒りとあわさって、渾然としたより生々しく聴かれるものになっている。パーソナルな感情が"社会の持つ問題"にフォーカスされていくという構造を見ても、2012年ならではの作品と言える。
(リリック面では、"ハッピーライフ"で描かれる「普通の人」は、自分たちの隣で生活している人たちであり、3.11以降の問題をつくってきている<怒りの対象にもなりうる>人たちでもあるということを露出させていて面白かったのだけど、話がずれるので割愛する)

ただ、『B級映画のように2』は地方都市に住む田我流だからこそ作ることのできた"地方のヒップホップアルバム"ではあるに違いないが、その楽曲に甲府の"地域性"が根付いているかという点に関して言うと、かなり疑わしい。『B級映画のように2』で描かれるものは、これまで書いてきたとおり「地方で活動することに対する鬱屈」や「社会への不満や怒り」だ。その魅力はあくまで田我流のパーソナルな部分にあって、甲府という土地自体はこの作品では他の地方都市にも代替可能なものだろう。

さて、では『B級映画のように2』以前ではどうだったか?


"墓場のDigger"

"ゆれる"

■ Mr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangsta 『SAMURAI SPIRITS』


日本のヒップホップを対象に、あらゆるインターネット上の音源をアーカイブするサイト『JPRAP.com』が発見したMr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangstaの音源に触れたときは驚いた。元々、2011年2月にYouTubeに公開された悪羅悪羅系をレペゼンする楽曲も、トランス系のビートのうえでの「悪羅悪羅」連呼というこれまでに聴いたことのない異形さを持ったストレートな表現に衝撃を受けていたのだけど(過去には悪羅悪羅系として見られるラッパーが於菟也がいたけどそういえば彼もUCKと同じく埼玉で活動しているラッパーだった)、3.11を経てつくられた2ndアルバム『SAMURAI SPIRITS』に収録されている曲は更にその方向にブラッシュアップかけたような内容になっていた。


Mr.OUTLAW a.k.a. UCK Japanese Gangsta "Territory ~悪羅悪羅~"



於菟也 "forgive me"

旧車會がバイクの爆音をなびかせる。UCKがトランス系ビートにラップをのせて3.11に亡くなった方への追悼をうたう!ダメージをうけた社会に対するメッセージをささげる!Stop The 原発!!

「3.11に大事な人を亡くした方々/
なかなか立ち直れなくて当然/
あの日以降 ただ呆然と月日は過ぎ行く/
いくら泣きじゃくっても帰らないんだ.../
俺らが叫ばないか?/心の被災者を忘れてないか?」("For JAPAN")

「勤め人が仕事頑張れば 金を使えて経済は潤う/
個人や法人が潤う イコール 金が動く/
金が動けば国は税収入が増え 凄く立派な社会貢献/
テメー事を頑張るのも復興 OK!!」("For JAPAN")



"For JAPAN"


"旧車會 ~宮城魂~"

3.11というキーワードを切り出すと↑の楽曲が特徴的なのだが、リリックも全て直球なので、1stアルバム『MESSAGE』から『SAMURAI SPIRITS』を通して聴くとUCKの人となりがとてもよくわかる。1度目の結婚がDV原因で破局したこと、愛情が強すぎて相手を拘束するヘキがあること、地元の先輩に対してものすごく恩義を感じていること、「Forever」と彫ったタトゥーの意味……。(ちなみに、UCK青少年育成を目的としたNPO法人まで立ち上げている。)

少し話が変わるけども、『Rev3.11』から発刊した電子雑誌『REV MAG vol.1』で、靴底というブロガーに"とある地方での音楽シーンのお話"という記事を寄稿いただいた。この記事では「日本の地方で形作られたヒップホップの姿」が実話/フィクションを織り交ぜながら描かれているが、この記事の話で面白いのは、地方の"先輩"が興味を持っているのはカーオーディオでハマる『スーパーユーロビート』のような音楽であって、CDショップでもクラブでもライブハウスでも、勿論PCで聴かれるような音楽でもないというところだ。車の中こそが"先輩"たちの現場だというところに説得力がある。思い返してみると、私が学生のときにも地元の友達から借り出されて夜中ずっとドライブしているときにはカーステレオからユーロビートが鳴り響いていた。

おそらくこの記事を書かれたときに靴底氏も意識していたと思われるが、この集団が作り上げたヒップホップの形はこれまで紹介してきたUCKの作り出しているものと近い。勿論それは地方で活動している人間だからこそ作り上げることのできるヒップホップの形に違いないけども、彼らの音楽に影響を与えているのは彼らが生活する地域のなか、もっと言ってしまえば彼らが活動する集団やチームのなかに育まれている"カルチャー"だ。

その"カルチャー"は人にとっては、ヒップホップカルチャーであり、日本語ラップカルチャーであり、クラブカルチャーであり、ドラッグカルチャーであり、車文化であり、ゲーム文化であり、アニメ文化だったりする。過去に出会った真新しい(と思えた)音楽を思い返してみれば、それはそれまで自分が知らなかったカルチャーのなかで育まれていたものだったという例が確かにある。カルチャーがローカルな地域のなかで様々に変換され、翻訳/誤訳された果ての表現――それこそを私たちは音楽の持つ"地域性"と呼んでいるのだろう。